「『山の郵便配達』のフォ・ジェンチイ監督が贈る故郷への想いと忘れてきた過去の物語」
今現在(2005年1月)、アジア映画=韓国映画ともいうべき“韓流”の風が吹き荒れる日本の映画界だが、こういった“韓流”ブームの前にちょっとしたブームとなっていたのが中国映画だった。『初恋のきた道』のチャン・イーモウ監督の作品、『小さな中国のお針子』など、中国映画は純真さに満ちたシンプルな、胸を打つ感動というテーストに満ち溢れていた。こうした中国映画のブームのきっかけとなった作品が2001年に日本公開された『山の郵便配達』という作品であった。郵便配達人として働く父親とそれを継ぐために一緒に郵便配達をする息子との関係をじわーっという感動で描いたこの作品は、若者以上に高齢層の圧倒的な支持を受けた(映画館の初回の上映に行列が出来るという状況も起こったという)。この『山の郵便配達』という作品が、その後に日本で劇場公開される中国映画のラインを決めたといっても過言ではないだろう。今回紹介する作品は、その『山の郵便配達』の監督フォ・ジェンチイの待望の最新作『故郷の香り』である。
『山の郵便配達』は現代の中国を代表する作家ポン・ジェンミンの全国優秀短編小説賞、荘重文文学賞、湖南省第1回青年文学賞などを受賞した代表作ともいうべき同タイトルの短編小説、昨年公開された『ションヤンの酒家』は中国国内で数多くのベストセラーを送り出し、海外でも翻訳版が出版されているチ・リの小説、そして、今回の作品『故郷の香り』は現在の中国でノーベル賞に最も近いとされる作家モォ・イエンの「白い犬とブランコ」という短編小説を映画化したものである(ちなみにチャン・イーモウ監督による『至福のとき』、『紅いコーリャン』もモォ・イエンの小説の映画化である)。そうしたことからみると良質な小説を選び、映画化する手腕に長けているのが、この監督の特徴であるのかもしれない。もちろん、『故郷の香り』もこうした期待を裏切らない作品に仕上がっている。
監督自身はこの原作を映画化しようとしたことについて「「誰の心にも懐古の念がある」と感じたことが映画化を決めた理由でしょう」と語っている。原作を読み、静かに心の底まで流れてくる温かい気持ちに満たされた監督は、小説を読みながら泣いたという。
北京で役人として働く男は10年ぶりに故郷へ帰ってきた。男は北京で妻と子に囲まれ、幸せに暮らしていたのだが、恩師のトラブルを解決するためにこの村に帰ってきたのだった。それは本当に短い帰郷のはずだったが、ある女性とすれ違うことで様相は一変する。その女性は彼の初恋の相手であった。そして、彼が故郷に帰ってこなかった理由はその初恋の女性との間に起こった出来事にあったというのがこの作品のストーリーである。10年という月日が変えた初恋の女性の生活と様相、よみがえるあの頃の思い出、そして湧き上がってくる後悔の念。初恋の想いとそうした想いを大きく変えてしまう行動と時間というものをフォ・ジェンチ監督は心に染み入るように、丁寧に描いていく。
出演は主人公の青年役に、現在の中国映画界で最も注目されている若手俳優のひとりであるグオ・シャオドン。青年の初恋の人役に数々のドラマなどで高い評価を得ているリー・ジア。そして、その初恋の人と現在家庭を営んでいる男性役に『鬼が来た!』も印象的だった香川照之(口も耳も不自由な人物を演じる香川照之の演技には賞賛の一言しかない)。
不思議なのだが、中国映画を観るとなくなりつつある日本の原風景を見ているような気分になる。それは昭和20、30年代の映画を観ている気分に近いものなのだが、こういった部分があるからこそ、中国映画は高齢層に受け入れられるのだろう。この作品ではそれは収穫期の黄金色の田園の風景であったり、人々の優しさであったりする。しかし、この作品の中で最も印象に残るのは主人公の青年の故郷への想いと相反する気持ち、後悔の念だろう。これは田舎を出て、都会に暮らす人間だったらば、きっとどこかに抱えているものではないだろうか。そして、こういった後悔や郷愁は場所や向かう方向が違っていても変わらないものだと思う。何かしらの帰りづらい部分を故郷は持ち続け、でもどこかで帰りたいという気持ちを抱かせ続けている。だからこそ、このテーマは世代を超えて普遍的な部分を持っているのではないだろうか。故郷を持つ人間として、僕自身はそう感じた。今都会に暮らす人々、故郷をなくした人々はこの作品をどう思うのだろうか。ぜひ、劇場に足を運んでください。 |