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『母たちの村』

配給:アルシネテラン
オフィシャルサイト:
http://www.alcine-terran.com/main/moolaade.htm
この映画の予告編はこちらから


キャスト スタッフ データ
ファトゥマタ・クリバリ
マイムナ・エレーヌ・ジャラ
サリマタ・トラオレ
アミナタ・ダオ
ドミニク・T・ゼイダ
マー・コンパオレ
監督、製作、脚本:
  ウスマン・センベーヌ
撮影:ドミニク・ジャンティ
編集:アブデラティフ・ライス
美術、衣装:ジョゼフ・クポブリ
音楽: ボンカナ・マイガ

*第57回カンヌ国際映画祭
  ある視点部門 グランプリ 受賞
*2005年 全米批評家協会賞
  最優秀外国語映画賞 受賞
*2005年 ロサンゼルス
  パン・アフリカン映画祭
  審査員賞 受賞
*2004年 マラケッシュ国際映画祭
  特別審査員賞 受賞

2004/フランス、セネガル/35ミリ/
カラー/ヨーロピアン・ビスタサイズ
/ドルビーSR/2時間4分


イントロダクション
「アフリカ映画界の巨匠ウスマン・センベーヌが、女性割礼という伝統的に立脚する問題とそこに立ち向かった女性たちの勇気をユーモラスかつ大らかに描いた胸を打つドラマ」
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  金と時間さえあれば、世界で最も多用なのミュージシャンのライブを体感できる国は日本の東京である、と言われている。夏を中心としたビッグ・フェスティバルも定着し、小さなライブハウスに思わぬミュージシャンが来日している状況を考えると、それもまんざら嘘ではないだろう。じゃあ、映画はどうなのだろうか。言葉の壁などはあるが、全体として考えれば、ハリウッドのメジャー資本の作品からアジアはもちろん、欧米のインディペンデントの作品、小さな国の映画まで割と幅広く公開されているのではないだろうか(ここには書けない根本的ともいえる問題もあるが)。そんな幅広さを示すであろう作品がまた1本公開される。それが今回紹介する『母たちの村』である。
  この『母たちの村』はアフリカの西に位置するセネガルの作品である。まず、アフリカ映画と聞いた時点で僕自身の頭に浮かんだ作品はピープルズ・パワーと音楽の関係を描いたドキュメンタリー『アマンドラ!希望の歌』だけで、劇映画は全く浮かぶことがなかった。アフリカの音楽なら両手で足りないほど様々なミュージシャンを上げていくことが出来るし、いくつかの文学も読んだことがある。でも、劇映画に関しては全くとして思いつかなかったのだ。ただ、最近ではアフリカを舞台にした『ホテル・ルワンダ』、『ナイロビの蜂』という政治的、社会的な視点を持ったエンタテインメント作品がヒットし、その注目が高まっているのは確かだろう。そういったタイミングで公開されるこの作品もアフリカの抱える大きな問題をテーマとしている。
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  物語の舞台は西アフリカにある小さな村である。ここのある家に割礼を嫌がる4人の少女が逃げ込んでくる。けがれを取り除くものとして続いている女性器の割礼という儀式だが、これに対し抵抗を示す女性もいた。4人の少女たちが逃げ込んだ家にはそういった女性がいるのだった。伝統を重んじる男性を中心としたグループ、そうした伝統に対して「NO」を突きつける女性たちとの対立をこの作品は彼女たちを取り巻く様々な状況を取り込みながら、描いていく。
  この作品の家族は一夫多妻制であり、家には第三夫人までとその子供たちが暮らしている。主人公は第二夫人であり、彼女は自らが受けた割礼ゆえに過酷な体験をし、自分の娘にはその儀式を受けさせていない(そうした割礼を受けていない女性は“ビラコロ”と差別される)。実は彼女の娘はフランスの留学から戻ってくる村長の息子との結婚が決定していたが、4人の少女を匿ったことから、その事実をばらされ、結婚自体も破談へと向かっていく。それでも彼女は4人の少女を守り続けていく。その守るための手段は家の入り口(門)にロープを張り、“モーラーデ”を宣言するというものであった。“モーラーデ”とは端的には“保護”を意味することであり、これを破ると大きな災いを受けるという呪術的な側面を持っている(作品の中ではアリ塚になった王様の例が語られている)。作品ではこの“モーラーデ”を解除するために余りにも酷い仕打ちが行われていが、その仕打ちゆえに女性たちの結束も高まっていく。
  暴力にもひるまずに徹底的に無言の抵抗をし続ける主人公、そんな彼女の意思を汲み取っていく第一夫人たちをはじめとする女性たちの姿が本当に素晴らしく、胸を打つ。逆にここに登場する多くの男性は固定観念に縛られ続けている。意見があるのかないのか分からない村長、その意見番、太鼓持ち、誰も彼もが旧全態としたものにこだわり続けている。フランス帰りで女性の尊厳、強さを身を持って知っているだろう村長の息子にしても同様である。その中で唯一違った視線を示すのが、村で唯一の露天を営業している兵隊さんと呼ばれる男である。そのあだ名の通り、彼はこの村の住民以上に世界を体験している。でも、彼はこの村にとっては外様でしかないのだ。そして外様には外様ゆえの運命が待ち受けている。
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  古い悪しき風習への固執(それが生まれた背景を彼らは自らの宗教イスラム教に結び付けている。でも、彼らはおやすみなさいの挨拶にエイメンなどと言うのだから面白い)、それが崩れていく原因をラジオというメディアに求め、女性たちからそれを取り去っていく部分などはアフリカのこうした村でなくとも起こっている現実に重ねることも出来るだろう。女性器の割礼という部分(これには男性器とは違い本当に様々なやり方がある)に注目を集めることがこの作品の意義であることは間違いないが、そこにはラジオを取り上げることなどからも伺える“閉鎖性”というものが存在する。全ての西洋的価値観が良いという時代はとっくに終わり、様々な文化のいい部分をミックスしていこうという流れの中で、こういった作品がアフリカから、しかも男性の監督の手で作られ、世界中で公開されていく意義は非常に大きいと思う。ちなみ、この作品は第57回カンヌ国際映画祭 ある視点部門 グランプリ、2005年全米批評家協会賞 最優秀外国語映画賞 受賞など世界中の映画祭で受賞や絶賛を浴びている。
  もちろん、こうした物語のテーマだけでなく、ゆったりとしたテンポ、そこから生まれるユーモラスな光景、日々の生活(水汲みがキーかな)、女性たちが身に着ける衣装、露天に並ぶ商品の展示方法や色合いの美しさなど映像的にもグイグイと引き寄せる大きな力をこの作品は持っている。監督のウスマン・センベーヌはアフリカ映画界の巨匠と呼ばれ、すでに80歳を超えているという(この作品は80歳のときのものだ)。その年齢を考えると信じられないほど前向きなテーマであり、アフリカを感じさせるおおらかさ、人間味に満ちた世界も展開している。アフリカに興味を持つ方はもちろん、『ホテル・ルワンダ』、『ナイロビの蜂』でアフリカの有する問題に感銘をうけたなら、ぜひ、この作品を劇場で味わってもらいたい。
  なお、女性器の割礼に関してはスーパーモデルでもあるワリス・ディリーの自伝「砂漠の女ディリー」なども参考になると思う。

ストーリー
「割礼の儀式から逃げてきた少女たちを守るために、最初にひとりの女性が立ち上がる」
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  西アフリカの小さな村。コレは第二夫人としてここにある家に暮らしている。いつものように水汲みなどから始まる朝、この家に伝統的な儀式である割礼を嫌がった4人の少女が逃げ込む。村には太鼓が響き渡り、6人の少女が逃げたことを伝えている。そのうちの4人がコレの暮らす家に逃げ込んだのだった。コレも少女たちの頃に割礼を受けたが、それゆえに辛い経験をしていた。そのため、ひとり娘のアムサトゥには割礼を受けさせなかった。その娘はフランスへ留学し、近く戻ってくる村長の息子との結婚が決定している。コレはこの少女たちを守るために家の門にロープを張り“モーラーデ”を宣言する。これにより、この家に無理やり入ったものには災いが降りかかることとなり、少女たちもとりあえずは守られることになる。しかし、そんなコレの行動は村中に大きな波紋を巻き起こしていく。
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