「1994年、ルワンダ共和国で起こった民族間の大虐殺とそこにあった真実のドラマを描いた世界が絶賛した作品が、日本の映画ファンの力で遂に公開」
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映画は世界を知るための手段でもある。エンタテインメント大作といわれるものでも、その当時の流行、世界情勢を反映したであろう部分を見ることが出来るし、明確なメッセージを知ること、そこから自分なりに掘り下げていくことも出来る。今回紹介する『ホテル・ルワンダ』はまさにそういった世界を知る取っ掛かりとなる作品である。
まず最初に触れておきたいのが、この作品が公開されることになった経緯である。欧米では2004年に公開され、アカデミー賞の主演男優賞、助演女優賞、脚本賞にノミネート、同年のトロント国際映画祭では観客賞を受賞するなど様々な映画賞で受賞、ノミネートされ、圧倒的な評価を獲得してきたこの作品だが、日本ではずっと公開のメドがついていなかった。その理由には様々なことが絡んでいたのだろうが、明白なのはヒットが見込めないということだった。こうした状況に立ち上がったのが、この作品を日本の映画館で観たいと願う映画ファンたちだった。彼らはネット上にサイト(『ホテル・ルワンダ』日本公開を応援する会 http://rwanda.hp.infoseek.co.jp/ )を立ち上げ、公開に向けての署名活動などの活動を開始。最終的には約3ヶ月で4,593名の署名を集め、配給会社も名乗りを上げ、作品の公開が決定した。こうした映画ファンの熱意がなければ、作品の日本での公開は不可能であったことは間違いない。この映画ファンの行動とそれに意気を感じた配給会社に対しては感謝のひとことだ。それ程にこの作品は素晴らしい内容を持っている。
この『ホテル・ルワンダ』は、1994年にルワンダ(共和国)で起こったフツ族とツチ族との民族間の争いに端を発した大虐殺を背景とした中で起こっていたドラマを映画化したものである。それはわずか100日余りの間に100万という人々が、民族が違うというだけで虐殺された中、ひとりのフツ族であるホテルの支配人が民族に関係なく1000人以上の人々を救ったというものである。
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このルワンダでの抗争は欧米のメディアでは大きく報じられていたが、日本では特集として取り上げられることはあっても、連日の大きな報道となることはなかったと記憶している。事件としても10年以上前のものであるため、忘れた方、知らない方も多いだろう。ツチ族とフツ族というのはルワンダを代表する民族である。ただし、彼らは見た目もほとんど変わらないし、民族間での血も混じり、同じ言葉を話すので、そこに暮らしてきた人々以外にはまず区別が付かない。そんな彼らが争うことになった原因には18世紀の王宮時代、その後の植民地時代でも解決することがなかった差別、優越意識が存在している(ベルギーによる植民地時代には支配のためにそこを利用している)。1994年の大虐殺はフツ族により続いていた圧政を終わらせるべく、国連の主導によりフツ族とツチ族の継続的な話し合いが行われている中で起こった大統領の暗殺がきっかけとなっている。このことは作品の中では大きく触れられていないが、それ以前からフツ族の至上主義者はツチ族との交渉に不信感、嫌悪感を抱いており、この暗殺事件もフツ族自身が仕組んだのではないかと考えられている。ほぼ同時期にはボスニアでのイスラム教徒、セルビア人、クロアチア人による内戦も起こっているが、こちらはヨーロッパで起こったものだったため、ルワンダとは比較にならない大きな注目、反響を浴びていた。
この作品はルワンダという国で起こっていた現実の恐ろしさを捉えながら、国連の平和維持軍が駐在していたホテルを舞台に起こっていた現実をきちんと描いていく。このホテルでの事態の推移が世界におけるルワンダの国の位置づけにも繋がってきている。まさにタイトル通り、『ホテル・ルワンダ』なのだ。平和維持軍が駐在するからちょっとした治外法権のように感じられたホテル。世界が助けるという吉報が届きながらも、見捨てられていくホテル。それはルワンダが見捨てられるということだった。その理由は世界にとって存在価値がないと見做されたからであった。ヨーロッパの火薬庫となるかもしれないボスニアとはその位置づけが違った上に、欧米諸国が欲しがるようなものもなかったのだ。そういった絶望に突き落とされていく状況の中、ホテルの支配人はフツ族の政府軍の重要人物に最高のもてなしをしたり、欧米の自分たちの知っている人物に電話、手紙で窮乏を訴えていく。しかし、そうした手立ても長くは続かない。
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アフリカ版『シンドラーのリスト』という評判もあるように、状況が悪化していく中でもホテルの支配人は自分の命を最優先に考えず、民族、その人となりに関係なく、全員を救おうと懸命に動き続ける。オープニングに流れる時事ニュースからフツ族至上主義者の海賊放送、ツチ族である妻やホテルの側近といることの緊迫感など全体の物語展開は相当にサスペンスフルになっている。例えば、これが時事を扱っていないフィクションの映画だとしてもよく出来た作品として受け止められるはずだ。語弊があるだろうが、エンタテインメントとしてもよく出来ているのだ。でも、そういった中でこちら側を突き刺すのは、大虐殺という事実、そこに浮かれる人々、そこを生き残るためにホテルの支配人たちが振り絞った勇気、それを止めることが出来なかった、止めなかった無力感である。虐殺の映像が世界に流れると知って、これで世界が目を向けると喜ぶ支配人に向けてそれを捉えたジャーナリストが言い放った「世界はこの映像を観ても怖いと思うだけで、ディナーを続ける」、彼らを守りたいと思いながらも上からの撤退命令を聞いた平和維持軍の大佐が言い放つ「西側は君たちをゴミだと思っている。ニガーですらないんだ。」という言葉はあまりにも強烈だ。その他にも頭を打ち付けられるようなシーンが、ワイクリフ・ジーンのエンディング・テーマまで続いていく(余談だがカメオで思わぬ役者が出演している。その役者もこの作品のテーマにうたれたのだろう)。
このルワンダで起こったような出来事は他の国(その99%が経済的にも恵まれていない国)で繰り返し、頻発している(例えば、スーダン、リベリア、コンゴ)。この作品を観ることにより、そうした部分にまで視野を広げてもらえればと思う。悲しいことだが、このあまりにも素晴らしい作品はそういった世界の負の部分のひとつでしかないのも事実なのだから。ぜひ、劇場に脚を運び、この作品の素晴らしさを感じ、伝えてください。 |