「長崎俊一監督による1982年に生まれた傑作8ミリ映画『闇打つ心臓』、この作品のリメイク製作を発端に生まれた、オリジナルのリメイク、続編、ドキュメンタリー的な感触を持つ、心を揺さぶられる人間ドラマ」
昨年(2005)の東京国際映画祭では根岸吉太郎監督の作品『雪に願うこと』がグランプリ、監督賞など4部門を受賞した。新進の若手映画監督の活躍が際立っているように感じられる邦画の世界だが、この根岸吉太郎監督や昨年最も高い評価を受けた邦画であろう『パッチギ!』の井筒和幸監督、『火火』の高橋伴明監督など、実は1980年代にATG(日本アート・シアター・ギルド)で邦画史上に残る斬新な作品を発表してきた1950年代生まれのベテラン監督たちの活躍も目立っている。今回紹介する『闇打つ心臓』もATGに素晴らしい作品を残し、その後も着実に活躍し続ける1956年生まれの長崎俊一監督による最新作である。
昨年は大ヒットした韓国映画『八月のクリスマス』の日本版リメイクである同タイトル作品の公開も記憶に残っている長崎監督だが、長いキャリアに比較して、監督した作品は決して多いとはいえない。それは何でも屋的な職業監督にはならず、自分の撮りたいものを撮るようにするというスタンスの表れなのだろう。そして、今回紹介する『闇打つ心臓』はそういった部分を示した作品となるはずだ。
僕自身は全く知らなかったのだが、実はこの『闇打つ心臓』という作品は1982年に制作された長崎監督自身の8ミリ作品と同じタイトルとなっている。この8ミリ作品は観た人の間では「傑作」として語り継がれており、その傑作を20年以上の時を経てリメイクしようというのが、この作品の発端だった。ただし、出来上がった作品はリメイクではなく、オリジナルから20数年という時間を内包した新たなものとなったいる。
8ミリ版の『闇打つ心臓』に主演していたのは今では俳優という分野を超えて活躍する内藤剛志と室井滋である。当時の彼(彼女)らはインディペンデントな映画で活躍する若手俳優だった。この作品はオリジナル8ミリ版の映像をバックに内藤による「この作品がリメイクされることになった」というナレーションでスタートする。ここでタイトルが映され、リメイク版が始まるのかと思いきや、画面に映し出されるのはリメイク版の承諾を求めての内藤と長崎監督らの話し合いである。この作品に対して深い思い入れのある内藤は「あの自分の演じた役を今の立場の自分から殴ってやりたい」と主張する。その後に今度は室井と長崎監督らとの話し合いが映し出されるのだが、室井は同じように作品に対する深い思い入れを語り「あの頃の自分たちを優しく救ってあげたい」という旨を語る。ここでは登場人物への見解の相違はあるが、彼らが8ミリ版に対して相当な想いを抱いていることが伝わってくる。そうした想いがこの作品に新たなドラマを生み出していくのだ。
そもそもこの作品のリメイクの動きはプロデューサーの強い後押しにもかかわらず「自作をリメイクする、その意義が理解できずにいました」と語る長崎監督により阻まれ続けていたというが、最終的には監督自身のあの時の衝動が何だったのかを再検証するという意味づけからスタートする。当初はストーリーを現代と置き換えた全くのリメイクがプロデューサーから提案されたようだが、結果的にはオリジナル8ミリ版から20年以上を経た現在の彼らの姿に、ここはリメイクともいうべき、あの頃の彼(彼女)らと同じように行動する若いカップルを交わらせる物語が生まれることになる。
オリジナル8ミリ版の『闇打つ心臓』は自分たちの子供を殺し、逃げ続けるカップルの様子が描かれていた。今回の作品でも本多章一と江口のりこが演じる若いカップルは同じ立場で逃げ回っている。ただ、今回の版では男女の立場が逆転している。若いカップルは男の方が気遣いをし、洗濯も料理の買出しもするという風になっているのだ。子供を殺してしまったのも女だ。これは時代性を盛り込んだといっていいだろう。一方、あの頃のふたりは事件も発覚せず、捕まることもなく、社会に暮らしている。あの後、ふたりは必然的に別れてしまったのだが、ここで久々の再会を果たす。一時は幸せを手にしていた男だが、家庭は崩壊した。女はその格好が全てを語っている。作品にはフラッシュバックのようにあの頃の映像が取り込まれ、捕まらなかったふたりの想いを伝え、今現在逃げている若いカップルの様子に重なっていく。この若いカップルは逃げ果せたふたりのようになるかもしれないのだ。
物語は同じ事を経験した、こうした2組のカップルが交わることで新たな道を探り出そうとしていく。そこにいるのは生き続けてしまったカップルと生きることを手放そうとすらしている若いカップルでもある。展開しているドラマが突然、リハーサルのシーン、納得のいかない撮影のシーンへと切り替わっていく部分もある。そこでは内藤があの頃の自分にけりをつけるため、若い男優をいかに殴るかで悶々としている。当然、若い男優はそのことを理解できない。自分の過失を同じ立場だからと、一方的に殴ることで何が変わるとは思えないが、それが時間を経て感じ取った、オリジナル8ミリ版への痛烈な批判にはなりえるのだろう。物語の後半はこうした部分を巡る葛藤へも繋がっていく。
今回、新たに制作されたドラマ、オリジナル版の映像、そしてドキュメンタリー的な映像が盛り込まれたこの作品をどう捉えたらいいのか考えあぐねる向きもあるかと思うが、この作品は映像の持つ力と共に、深い感慨をもたらす、生き抜くということを描いたドラマに仕上がっている。そして、内藤、室井のこの後、彼らに出会った若いカップルのこの後の展開も新たなドラマとして描けるのではないだろうか(例えば、20年を超えているのでオリジナル8ミリ版の事件には時効が成立している。これがそうでなければどういう想いを抱えていたのだろうかなど)。リメイクを超えながらもリメイクでもあるこの心を捉える作品に、ぜひ、脚を運んでください。 |