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『チーズとうじ虫』

配給:『チーズとうじ虫』上映委員会
オフィシャルサイト:
http://chee-uji.com/
この映画の予告編はこちらから


キャスト スタッフ データ
加藤直美
小林ふく
監督、撮影:加藤治代
撮影:加藤直美
    栗田昌徳
    中嶋憲夫
編曲:須賀太郎

2005/日本/カラー/DV/1時間38分


イントロダクション
「山形国際ドキュメンタリー映画際小川伸介賞、国際批評家連盟賞受賞など世界が絶賛した、重い病を患った母親との最期の日々とそこから続く日々を捉えた優しくもズシンとくるドキュメンタリー作品」
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  昨年(2005)に公開された『ターネーション』という作品はマッキントッシュに付属している映像製作ソフトを使用し、作り上げたということで大きな話題となった。そこで描かれていたことは監督である青年の強烈な人生であり、その元となっていたのは彼が少年の頃から撮りためていた莫大な量のフィルムやビデオだった。パソコンへの映像の取り込みは比較的簡単になってきているし、そこから編集を試み、オリジナルな作品を作ることも容易になってきている。これは大きな手間隙がかかるはずだった映画という世界にとっては画期的なことでもある。もしかしたら、サンプリングという手法が音楽に大きな風穴を開けたように、誰もが映画を作れるという時代になってきているのかもしれない。今回紹介する『チーズとうじ虫』はそうした部分を感じさせてくれるドキュメンタリー作品である。
  重い病を患った母親、その母親の看病のために実家へと戻った娘。娘は母親が病気を患って3年目にビデオカメラを購入する。母親を記録するというよりも「彼女が直ることを無邪気に信じていた私は、テレビや映画に良くある“奇跡”を記録する事を夢見ていたのです。」と監督は語っている。意味合いは多少違うだろうが、それは行事ごとに子供の成長を記録し続けるホーム・ビデオと全く変わらない方向である。でも、彼女はその間に映画美学校のドキュメンタリー・コースに通い、『阿賀に生きる』、『エドワード・サイード OUT OF PLACE 〜Memories of Edward Said〜』で知られる日本を代表するドキュメンタリー映画監督 佐藤真の講義を受講もしている。そこにあったのは“奇跡”の映像化である。でも、“奇跡”が起こることはなく、母親は亡くなってしまう。母親の死後、彼女は「初めてある覚悟をもってカメラをまわしはじめました。」と語っている。
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  残された時間も少ないという重い病気を患いながらも、そのことが嘘のように、奇跡が起こるかのように暮らしていた母親、祖母、自分との日々、その母親が逝ってしまってからの祖母との日々を作品はエッセイ、詩を積み重ねるかのように描いていく。そこににつけられたタイトルも印象的(例えば「子宮とマラカス」、「凱旋行進曲」、「白いキャンバスと母」、「発酵と熟成」など)なのだが、そこで描かれることには病気の辛さなどはほとんど垣間見えない。病院で点滴を打っていたり、生前の保険金がおりて車やミニ耕運機、テレビを買うシーンなどがあり、そこからは重い病気という現実が伺えるが、苦しみのシーンは一切ない。現実的にそういう状態の時には彼女自身が率先して介抱しなければならなかった。「側にいて必死で見続けることが精一杯で」と彼女は語っている。母親の死後に生じた“彼女の覚悟”はこの撮れなかったということにも起因しているのだろう。それが彼女に初めてプロとしての意識をもたらしたのだ。
  彼女が生前の母親を撮り続けた部分は台所で漬け物の作り方を学んだり、趣味として打ち込んでいる絵画、三味線に没頭する様子があったり、生前におりた保険金でミニ耕運機を購入し、楽しげに畑を耕したり、病院へ行ったりなどという母を中心とした、祖母、娘である自分という3世代の女性たちの日常の様子が移り変わっていく季節の様子をうまく取り込みながら、描かれていく。しかし、一瞬前のシーンでは元気な姿をしていた母親は突然亡くなる。布団に寝ている母親、出棺のシーン、それを部屋の片隅に佇みながら見守る祖母。そして、祖母と娘のふたりだけの日々が始まる。そこには主をなくした物、思い出が至る所に残されている。祖母は娘が編集した母親のビデオを見て、娘の質問にも答えていく。母親がずっと立っていた台所にはその後姿と変わらないように自分が立っている。この母親が亡くなってからのシーンは明らかに亡くなった存在を埋めていこう、そこに何かを見出していこうという意識に満ちているように感じられる。でも、そういった中でも季節はいつものように移り変わり、日々は変わらぬように過ぎ去っていく。結局、この作品の何が心を捉えるかといえば、この続いていく日々という部分だと思う。この後に祖母が亡くなろうが、自分が亡くなろうが、どんなことがあろうが、日常はこのように続いていくのだ。 作品はそんな日常や母親、祖母への愛情を客観的にも描いている(そこがエッセイ的、詩的でもあるのだ)。
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  タイトルである『チーズとうじ虫』は歴史家であるカルロ・ギンズブルグによる歴史書だという。主人公は16世紀のイタリアに暮らす粉挽き屋の男。牛乳からチーズから出来、そこからうじ虫が発生するということ、そのカオスを“神の無からの創造”に対置し、処刑された人物である(彼はうじ虫を天使になぞらえた)。母親の病気を受け入れようという苦悩へのインスピレーションとなり、タイトルに使用されたということだが、それは母親の小さな畑のコンポストの中に湧いているうじ虫として作品にも現れてくる。人間はもちろん、このコンポストの中、移り行く季節、そこには様々な生、カオスが映し出されている。
  ものを書くように、撮りためられたビデオを整理編集するという過程は彼女自身の心を整理するのに絶対に必要なことだったのだろう(それは先に書いた『ターネーション』も同様だ)。そこを見つめるセンスが優れているからこそ生まれた、優しくも胸にズーンと押しかかってくるような作品だと思う。ちなみに、山形国際ドキュメンタリー映画際では小川伸介賞、国際批評家連盟賞をダブル受賞、ナント三大陸映画祭ではドキュメンタリー部門最高賞を受賞しているが、それも納得できるはずだ。ぜひ、劇場に足を運んでください。

ストーリー
「残された時間も少ない病床の母を娘はカメラで撮り続けていく」
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  加藤治代は病気の母親を介護するために実家へと戻っていた。移り変わっていく季節の中、残された時間は少ないと言われている母親はこのままずっと生き続けていく、奇跡が起こるように治代には感じられた。そんな日々を治代はカメラに撮り続けていく。しかし、奇跡は起こらず、母親は逝ってしまう。そこからも日々は続いていく。
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