「ガス・ヴァン・サントらがエグゼクティブ・プロデューサーとして名乗りをあげた、世界中の映画祭を熱狂させたあまりにも赤裸々な半生のドキュメント」
名匠シドニー・ルメット監督の本「メイキング・ムービー」(キネマ旬報社)は映画がいかに製作されていくかをその手順、分野別に語った良書だ。この本を読めば、どうして映画にはあれほどの人手とコストがかかるのかが理解できる。そうした中、もしかしたら誰でも手軽に映画なんて作れるんじゃないのという作品が登場した。それが今回紹介する『ターネーション』である。
誰にでも映画(もしくはそれに準じたもの)が簡単に撮れるという瞬間は過去に何度もあった。例えば、スーパーエイトなどの8ミリカメラやビデオ・カメラの普及だ。ここからは多くの作家が生まれている。ただ、撮影はできても編集などの作業(ポスト・プロダクション)は多少、職人的な作業が必要だった。そうした状況を更にお手軽にしたのが、デジタル・ビデオとパソコンの普及(ソフトの進歩)である。これにより撮った作品をパソコンに取り込み、簡単に編集できるようになったのだ。出版のあり方を変えたDTP(デスク・トップ・パブリッシング)ならぬDTM(デスク・トップ・ムービー)の登場である。今回紹介する『ターネーション』は正にこうした状況が生み出したDTMである。
この作品『ターネーション』はマッキントッシュなら必ず付属しているソフト“iMovie”を使用し、撮りためたフィルムや写真を編集して製作された作品である。その製作費は日本円にして約2万円。これは実際に映画館で上映されるフィルムとは違い、オリジナル・ヴァージョンにかかった費用だが、このオリジナル・ヴァージョーンがガス・ヴァン・サント(『エレファント』)、ジョン・キャメロン・ミッチェル(『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』)らを驚嘆させ、彼ら自身がエグゼクティブ・プロデューサーとして名乗りをあげ、僕たちが見る事ができる最終バージョンが完成している。そして、この作品はカンヌやサンダンスなど世界中の映画祭で熱狂的に迎え入れられた。
監督は俳優としても活動しているジョナサン・カウエット。彼が描くのは母親と自分との関係を軸とした互いの分かつことができない歴史である。美人でモデルとしても活躍した母親は結婚後に精神病を発症、そんな中でジョナサンを生むが家庭は崩壊、ショック療法などを受け続けることで彼女の人生は180度転換してしまう。そうした部分は必然的にジョナサンへも影響を及ぼしていく。母親と暮らせず、里親からの虐待などで自分自身の精神の安定も欠いていくのだ。成人したジョナサンは故郷を離れ、安定を手に入れ始める。そして母親との離れられぬ関係を感じ始め、この作品へと向かいはじめる。母親がいたからここにこんな自分がいる、そんな強烈な物語なのである。
“誰にでもひとつくらいは素晴らしい小説が書ける”という言葉を吐いたのは誰だか憶えていないが、その意味するところは“自分の人生を書けば、ひとつくらいは面白い作品が生まれる”ということだ。この作品『ターネーション』を観て、感じたのはそれだった。ジョナサンと彼の母親の半生はあまりにも強烈である。美人モデル、精神病、家庭崩壊、里親の虐待、ゲイなど様々な事情が横たわっている。将来を羨望された母親の精神状態が壊れたことが、息子であるジョナサンに真っ当な家庭生活を味わうことができない状況に追い込み、果てには精神状態も破壊していく。ジョナサンが精神的な安定を取り戻すのは故郷を離れ、ニューヨークで暮らしてからだった。この安定が離れて暮らす母親との関係を新たに見つめ直すきっかけをジョナサンに与えたのだろう。ニューヨークに来る前、理解者すらいなかったであろう故郷でのジョナサンの安定剤は自分の世界に埋没し、写真やフィルムを撮り、音楽を奏でることだった。そうした自分の安定剤だった記録をぶち込み、新たなものも加え、編集することでこの作品は完成している。だから、この作品はジョナサン自身の成長、母親への愛の証のような作品でもあるのだ。そしてそんな彼の生き方がこちらの心を必然的に捉えるのだ。
誰にでもいちどは製作することができる作品という意味合いのことを先に書いたが、それでもジョナサンの編集センスには脱帽せざる得ない。特に母親の生い立ちを写真、文字、音楽、エフェクトの多用によって見せていくシーンにはメランコリックな気分にさせられてしまった。これはクラブのVJ(ビデオ・ジョッキー)的な感覚なのだが、結婚式の新郎新婦の紹介ビデオなどに盗まれていくだろうし、映画としてもこの手のものは間違いなく増えていくだろう。それはVJが似たり寄ったりの感覚になってきているように、この先、普及していくDTMの宿命である。そこを超えるのがセンス、オリジナリティなのだが、ジョナサンは間違いなくそういった部分を持っていると思う(だからこそ、次の作品に大いに期待したいのだ)。
作品の山場はジョナサンが故郷に戻り「どうして実の娘(母親)にそんなことをしたのか」と爺さんを問い詰めるシーンだ。荒れ放題の部屋、傍らには母親もいる。ここでジョナサンは自分自身の過去に蹴りをつけている。爺さんとってはあまりにも酷なような気もするが、この作品には客観性などないのだから仕方ないだろう。
あまりにも個人的なのだけれども、その人生が胸を揺さぶる作品『ターネーション』、ぜひ、劇場に足を運んでください。
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