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『バッド・エデュケーション』

配給:ギャガGシネマ
オフィシャルサイト:
http://www.gaga.ne.jp/badeducation/
この映画の予告編はこちらから


キャスト スタッフ データ
ガエル・ガルシア・ベルナル
フェレ・マルチネス
ハビエル・カマラ
レオノール・ワトリング
ダニエル・ヒメネス・カチョ
ルイス・オマール
ペトラ・マルチネス
イグナシオ・ペレス
ラウル・ガルシア・フォルネイロ
監督、脚本:ペドロ・アルモドバル
製作:アグスティン・アルモドバル
撮影:ホセ・ルイス・アルカイネ
編集:ホセ・サルセド
美術:アントソン・ゴメス
衣装:パコ・デルガド
   ジャン・ポール・ゴルチェ
音楽:アルベルト・イグレシアス
※ニューヨーク映画批評家協会賞外国語映画賞 受賞

2004/スペイン/カラー/シネスコープ/ドルビーデジタル、ドルビーSR/1時間45分

イントロダクション
「ファン待望のペドロ・アルモドバル監督の新作は半自伝的な内容の集大成的傑作!」
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  『オール・アバウト・マイ・マザー』で世界中の映画賞を席巻し、それ以前の熱狂的なファンだけでなく新たなファンを獲得。その後、2003年に公開された切ないラブ・ストーリー『トーク・トゥ・ハー』でもさらに新たなファンを獲得しているスペインの映画監督ペドロ・アルモドバル。ミニシアター系の映画ファンを中心に、今、最も新作の公開が待望されている監督のひとりといっても過言ではないであろう(それは世界の映画ファンにとっても同じだろう)彼の新作が公開される。それが今回紹介する『バッド・エデュケーション』である。
 数々の話題作を発表してきたアルモドバル監督だが、今回の作品『バッド・エデュケーション』は問題作と断言してもいい内容を持っている。それはこの作品がアルモドバル監督の半自伝的な内容の作品であるからだ。アルモドバル監督は、この自伝的ともいえる作品の構想を10年以上暖め続けていたという。映画を撮るまでにかかった10年以上の時間、その長い時間の間に数々の傑作を送り出し、世界的な評価を獲得してきたアルモドバル監督はその裏で何度となく繰り返し、この作品『バッド・エデュケーション』の脚本に取り組み続けいたのだ。アルモドバル監督は「その作業はやろうと思えばあと10年だって続けられそうだった。」と果てのない推敲について語り、「僕にはこれを撮る必要があったんだ。」と断言している。絶対的に撮らなければならない半自伝的な内容を持った作品だからこそ、何度となく推敲しなければならなかったのだろうということは想像に難くない。ただ、そうなるとどこが半自伝的な内容なのかが気になるところなのだが、アルモドバル監督は「僕が作る映画はどれもパーソナルなものだ。しかし、それは自分個人としての生活を生活を反映しているわけではない。この作品で一番個人的なところは、この物語が語られる形式だと思う。僕はこの映画の舞台となった時代を目の当たりにしてきた。」と曖昧な、どのような受け止め方も出来る発言をしている。
 舞台は1980年のマドリード。新進気鋭の若手映画監督が新たな企画の打ち合わせをしている事務所にひとりの青年が訪ねてくる。青年は映画監督が少年時代を過ごした神学校寄宿舎での親友だった。16年ぶりの再会、青年は映画監督に自分の出演を条件に自作の脚本を手渡す。それは彼らふたりの神学校寄宿舎での悲劇をベースにした脚本だった。映画監督は映画化を決意するのだが、そこには意外な事実が隠されていた、という物語のこの作品は1980年のマドリードから1960年代後半から70年代にかけての神学校、その隙間の出来事を行き来しながら進んでいく。そこにあるのは友情、時間を超えた愛の物語であり、神学校寄宿舎で行われていた悲惨な現実、そして時間というものが生み出す予想もしない展開、現実である。タイトルの『バッド・エデュケーション』はこの神学校寄宿舎で行われていた教育の現場を示唆している。
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 出演は『モーターサイクル・ダイアリーズ』のガエル・ガルシア・ベルナル、『トーク・トゥ・ハー』のフェレ・マルチネス、同じく『トーク・トゥ・ハー』のハビエル・カマラなど。この作品では役者陣の演技の素晴らしさは本当に特筆すべきものがある。映画監督の親友役など三役を演じるガエル・ガルシア・ベルナル、語り手である映画監督役のフェレ・マルチネス、神学校寄宿舎の神父を演じるダニエル・ヒメネス・カチョなどの演技は『バッド・エデュケーション』というタイトルが示す教育批判を越えた深みを作品に与えている(アルモドバルは批判、復讐のためにこの作品を制作したのではないと断言している)。
 アルモドバル監督がゲイであることを自ら公表しているのはご存知の方も多いだろう(ま、彼の作品からも匂ってくるが)。そういった部分でこの作品はゲイとしてのアルモドバル監督の生活の一端を語ったのかなと受け取れる気もする。神学校寄宿舎でのシーンなど相当にリアルな描き方もされているが、そこを「ちょっと・・・・」などと感じさせないのは、この作品が持っている物語性だろう。現在と脚本に描かれた過去と監督自身が知っている過去、そしてその過去と現在の間を埋める出来事が入れ子構造のようになって進んでいく物語はミステリアスさを持っている。このミステリアスさと役者の演技が作品に圧倒的な面白さと緊張感を生み出しているのだ。作品の中で主人公たちがフィルム・ノワールの作品を観に映画館に足を運ぶシーンがある。そういったシーンが示しているようにこのミステリアスさはノワール的なものでもある。映画の中で(劇中映画としても)描かれる過去は悲惨だが、ノワール的であるから現実も相当に重いものが待ち受けている。それこそが現実であり、それを超えたからこそ、アルモドバル監督の今があるのだろう。オープニングのサスペンスフルなテロップ、強烈な赤など相変わらず映像も刺激的、衣装もいいし、音楽も素晴らしい。どの作品を取っても「いい!」ということは間違いないのだが、その中でもこの作品は彼の集大成的な“傑作”でしょう。個人的にはここでひとつの片をつけたアルモドバルの次も気になります。ぜひ、このアルモドバル流のミステリアスな愛の物語を堪能してください。   

ストーリー
「16年ぶりの親友との再会。思い出をベースにした脚本。そこに隠された真実とは」
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 舞台は1980年のマドリード。プロデューサーと新作の打ち合わせをしている新進気鋭の若手映画監督エンリケの事務所に、イグナシオと名乗る美青年が訪ねてきた。イグナシオは16年前の神学校寄宿舎時代のエンリケの親友だった。しかし、その風貌は全く変わっていた。売れない舞台俳優であるイグナシオは自分が出演することを条件に1冊の自作の脚本「訪れ」をエンリケに手渡し、事務所を去っていく。「訪れ」はエンリケとイグナシオの神学校寄宿舎時代の悲劇をベースにした物語だった。読む進めながら、様々な記憶が脳裏に甦ってきたエンリケはこの作品の映画化を決意する。しかし、その「訪れ」という脚本の裏とこの再会までの歳月の間にはエンリケが知るはずもない意外な事実が隠されていた。
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