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タイムマシンに乗って人生をやり直せるとしたら、私は間違いなく大学1年の春を選ぶだろう。受験勉強期間の暗澹とした不安と危機感は二度と味わいたくないからだ。高学歴を誇る友人は、そんな私を嘲笑して言う。「受験なんて要領でしょ」。その要領を掴むのが難しいから多くの受験生は苦しんでいるのだ。いまだ背中に張り付いている当時を思い出しながら、この映画を観ていた。
「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶応大学に現役合格した話」と惹句にはあるが、世の中そう甘くはない。合格に至るまで、どんな葛藤と苦悶があったのか、難関を乗り越えるまでの過程が丁寧に爽やかに描かれる。
ビリギャルこと、さやかは、教師に「人間のクズ」とまで言われる勉強嫌いの反抗娘。しかし世間にありがちの”家庭環境に問題あり”の育ち方をしているのではない。愛情細やかな母親は、娘に楽しい学生生活を送ってほしいと、規律や体裁を優先する学校から、転校させるほど娘の気持ちを重視し、娘も母親の愛を素直に受け止めている。父親は、かつて叶わなかった夢を息子に託し、プロ野球選手にさせようとすべてを息子に賭けている。娘の気持ちは探ろうとしないが、家庭を大切にする昔気質の働き者だ。大学進学など歯牙にもかけなかったさやかが勉強に興味を持ったのは、高校2年の時。母親に促されて覗いた塾の、講師、坪田の人柄と、柔軟でウィットに富んだ教え方に惹かれて通い始めた。東西南北の位置もわからず、福沢諭吉の存在すら知らなかった彼女が慶応大学を目指したのは、一種のゲーム攻略的な感覚だったのかもしれないが、生徒ひとりひとりの触手を察知し知的好奇心を煽る坪田の指導は、二度と受験はゴメンだと思う観客の向学心まで引き出してくれる。坪田を演ずる伊藤淳史のひょうひょうとしたキャラクターがいい。まじめで誠実、失速することなく生徒と対峙する熱血ぶりに、全幅の信頼を寄せて、さやかをはじめ塾の生徒は自ら進んで勉学に勤しむ。
特筆すべきは母親役の吉田羊だ。角のない、なめらかな口調で微笑んでいたと思えば、ビシッと核心をついた発言をする。何度担任に呼ばれても、ひるむことなく娘のために主張する、堂々たる態度が凛々しい。彼女が、スマートな体でテキパキ働く姿は優雅で軽やか、無駄のない動きは見とれるほどだ。何があっても娘を信じ、娘の気持ちを最優先するこの母は、決して「うちの子は、やればできるんです」などと愚かな発言はしない。たとえ目標に届かなくても、それはそれ、がんばった娘を誇りに思うと、日夜パートに励む。その深い愛情を、おしつけることなく、控えめな演技で存分に伝える吉田羊が巧い!
人は、自分のためでなく、誰かのために、持てる以上の力を発揮する。さやかは母親の愛と信頼に応えようと、ラストスパートを突っ走る。
これは、単なる勉強嫌いの落ちこぼれが、一流大学に合格するためのHow to物語ではない。母と娘、指導者と生徒の、信頼と絆が奇跡を起こすエンターテインメントだ。さやかと母親に寄り添い味わう達成感は、5月の空のように清々しい。
<合木こずえ>
「ビリギャル」公式サイト
5月1日 全国東宝系にてロードショー