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ダスティン・ホフマンの初監督作品「カルテット」は、ほのぼの系の小品だ。
舞台は引退した音楽家だけが入居できる高級老人ホーム。実際1896年にジュゼッペ・ヴェルディが、私費を投じて音楽家のための憩いの家を建てたことにヒントを得たという。
瀟洒な館のリビングルームからは、常に歌声や楽器の音色が響き、広い庭の木々の香りを連れて、穏やかな風がカーテンを揺らす。そのカーテン地もテーブルクロスも壁の色に合わせて趣味良く揃えられ、質の良い家具やリネンに囲まれて優雅に暮らすかつての精鋭たちは、少々頑固だが皆幸せそうだ。
しかしホームの運営は決して楽ではなく、存続の命運はコンサートの集客にかかっていた。そこへ、かつての大スター、ジーンが入居してくる。その昔、傲慢だったジーンは、同業の夫レジーを裏切り友人たちまで傷つけて去って行ったきり、長い間疎遠になっていた。ジーンの登場にレジーをはじめ、歌手仲間は戸惑うが齢70も過ぎればすべては恩讐の彼方、コンサートのクライマックスをカルテットで飾ろうとジーンを誘う。
ジーンを演ずるのは、老いてなお目覚ましい活躍ぶりを見せるマギー・スミス。声量が落ちた今、カルテットに参加できないと拒むプライドと威厳を、マギーならではの高貴な振る舞いでさっそうと表現する。「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」でもマギーは偏屈なまでに自分の殻に閉じこもった老女を演じているが、ここでは大物歌手の風格を出しながら愛らしさも漂わせて、ヒロインとしての見せ場を作る。
コンサートを仕切るマイケル・ガンボンの偉大なる存在感や、認知症のシシーに扮したポーリーン・コリンズの柔軟な演技には目を見張るばかりだ。二人とも張りのある声でウィットに富んだセリフをさらりと口にしては観客を笑わせる。そのしぐさや台詞回しは見ているだけで心地よく、英国の演劇人たる貫禄の芝居に何度もため息をつく。
ベテランの俳優陣に加えて、世界的なソプラノ歌手ギネス・ジョーンズやバリトンのジョン・ローンズリーらが披露する、美声やステージ上の熟練技も見事。歌声をもっと聴いていたいところだが、人情劇としての粋な展開を前面に、ほどよく編集したタイミングもうまい。
これほど豪華で贅沢な面々だからこそ、もう一声、もうひとひねりと期待してしまうのは欲張りだろうか。ダスティン・ホフマンはビリー・ワイルダーの名言「真実を描くときには、面白くなければならない」を常に意識して演出したと言うが、英国の品格にこだわりすぎたのか、会話の中の毒も物語のメリハリも少々物足りず、”伸びやかな指揮”とは言いがたいのが惜しい。
ともあれ、春の日射しと澄んだ空気を肌に感ずる軽やかな後味。サロンで室内楽を楽しむ昼下がり、そんな快感を与えてくれる。
<合木こずえ>