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『ヒョンスンの放課後』

配給:シネカノン
オフィシャルサイト:
http://www.cqn.co.jp/NEW_MOVIE/NEW_MOVIE.html#Stat
この映画の予告編はこちらから


キャスト スタッフ データ


監督、プロデュース、脚本、
ナレーション:
  ダニエル・ゴードン
共同プロデューサー:
  ニコラス・ボナー
撮影:ニック・ベネット
編集:ピーター・ハッドン
音楽:バーナビー・テイラー

*2004年ピョンヤン国際映画祭
  特別賞、音楽賞 受賞

2004/イギリス/カラー/
デジタルベーカム/1時間34分


イントロダクション
「北朝鮮の平壌、ここで“マスゲーム”に参加するために練習の日々を過ごす少女ふたりとその家族を捉えることで垣間見えてくる北朝鮮の普通の人々の姿。そこから様々なことを考えさせるドキュメンタリー作品」
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 拉致問題、核疑惑など様々な波紋を投げかけている国家 北朝鮮。国家間レベルだけでなく、拉致被害者家族なども日韓が連携して解決に取り組んでいくことがニュースとして大きく取りあげられ、こうした問題に関して、再び大きな注目が集っている。世界に残された最後の全体主義国家である北朝鮮に関しては亡命者による様々な証言や、映像が放映されているが、そこに何があるのか、どんな人が暮らしているのかは今ひとつ掴みにくい部分もある。今回紹介する『ヒョンスンの放課後』はそういった北朝鮮という国の掴みにくい一部分を捉えた作品である。
 この作品は北朝鮮を語るのには欠かせない“マスゲーム”に参加するふたりの少女とその家族を中心に捉えた作品である。ニュース映像で何度となく紹介されている全体主義を象徴するかのような壮大で華麗な“マスゲーム”がどのように生み出されているのかが分かり、そこに参加する少女たちの生活も垣間見ることが出来るという点でこの作品は十二分の意義を持っていると思う。もちろん、撮影に際しては制限が設けられていたことは確実であろうし、対外的な北朝鮮のプロパガンダ的な映画と考える方もいるかもしれない(決してそんなことはないのだが)。その辺りは監督自身も重々承知しているはずだし、映画の中ではナレーションにより、そうした部分への断り的な意味を挟んでいる。
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  この作品はサッカー・ワールド・カップ史上で最大の番狂わせとされている北朝鮮が勝利した1966年の対イタリア戦に出場した北朝鮮選手のその後を捉えたドキュメンタリー作品『奇蹟のイレブン』を監督したダニエル・ゴードン監督によるもの。『奇蹟のイレブン』を完成させた監督は“マスゲーム”を素材にした作品を撮るためにそのまま北朝鮮に留まり続けることを決めた。『奇蹟のイレブン』は当然、北朝鮮国内でも大いに評価され、その作品故に8ヶ月間の“万能通行証”が発行され、この作品のために撮影したいところにはどこにでも行けるようになったという(それでも規制はあったはずだ)。監督はこの作品の発端について「北朝鮮に行くと体操を練習している光景を何処でも見ることが出来る。とても大変そうなのに楽しそうに見えるんですよ。主体思想の雰囲気ではない、そこから楽しみを探していく姿が印象的だったのです。」と語っている。でも、監督は作品のナレーションで“マスゲーム”は主体思想、全体主義の象徴であり、集団の維持のためにあるということも語っている。この作品の主人公である少女は作品の冒頭で「将軍様が見ていると思うと辛くても平気です。」と発言している。“マスゲーム”はイデオロギーのための手段であり、そのイデオロギーに染まっている国民の様子も様々な部分から伝わり、それがある種のアイデンティティになっていることも分かる。そこを差し引きしたら、そこの隙間から見えるものは、これがこの作品のテーマでもある。
  監督はこの作品について「プロパガンダではない北朝鮮の日常をみせてあげたかった。」と語っている。「将軍様のために」と何度となく口を付いて出るのも、「アメリカの野郎め」と決まり文句のように出るのも(ほぼ毎晩の停電の際にもこの文句が出るのだ)、「イラクの情勢が気になる」と呟くのも(北朝鮮では米軍によるバクダッド占領などは伝えられなかった)、金日成死後の年から始まった飢餓を“苦難の行進”と名付け、自らの背負った苦難のように語るのも(長女の誕生日にはトウモロコシしかなかったという)、親や祖母が娘の教育に熱心なのも、家族で家庭がカラオケ、歌に興じるのも、“マスゲーム”の練習中の息抜き的な歌も、キッチンに備え付けられたラジオからは切れることなく放送が流れるのも、“マス・ゲーム”の練習がきつくて「行くのをやめたことがある」、「上級生からいじめられた」と告白するのも、自分の“マスゲーム”を「将軍様に観て欲しいな」と切に願うのも全てが日常である。そしてこれは「“労働者”“農民”“知識人”」という階級に分けられた中で平壌(ピョンヤン)という対外的な象徴である、特権階級ともいうべき200万人が暮らす都市の姿であるということも監督はきっちりと付け加えている。そこからはあの飢餓の状況で平壌以外の都市がどんな有様であったのかということが自ずと想像できるはずだ(ニュース映像に偽りはないだろう)。
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  悪態はつくし、イデオロギーに染まっているものの、ここに登場する北朝鮮の人々は普通の人々である。これは監督の前作の『奇蹟のイレブン』、北朝鮮のスパイとされた老人たちとの交流を描いた『送還日記』の人々と変わらない。この作品では統一に関する発言は出てこないが、きっとその想いは『送還日記』の老人たちと変わらない気がする(対韓国ではなく、対アメリカの教育が徹底的に行われているのだ)。
  この作品にはドキュメンタリー独特の冷めたような客観性が存在している。その冷めた視点が捉える特権階級の都市に暮らす普通の人々の生活、感情は様々なものを呼び起こし、間違いなく相反する受け止め方もされるはずだ。とにかく、少しでも興味があるなら劇場に脚を運び、自分の目と頭で確認してもらいたい、そんな作品である。

ストーリー
「“マスゲーム”への出場を目指すふたりの少女。カメラは本番までの日々を追いかけていく」
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 平壌に暮らす13歳の少女ヒョンスンは体操の得意な女の子。彼女は毎日、“マスゲーム”の練習に明け暮れている。そのヒョンスンを慕う4歳下の少女ソンヨン。彼女も毎日、“マスゲーム”の練習に明け暮れている。ヒョンスンは今回で3度目の“マスゲーム”の出場、ソンヨンは初めての出場である。仲の良い家族、将軍様への想いなどカメラは彼女たちの姿を中心に“マスゲーム”本番までの様子を追いかけていく。
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