「映画界のアウトロー的俳優ジョニー・デップが、17世紀のロンドンに生きた風刺詩人、放蕩者、アウトローであるジョン・ウイルモットこと第二代ローチェスター伯爵の生き様に惚れこみ、演じきった胸をわしづかみにするドラマ」
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ジョニー・デップという俳優の位置づけは面白いと思う。元々、熱狂的なファンを抱えていたが、『パイレーツ・オブ・カリビアン』という“らしくない”作品に主演しながらも、盟友ティム・バートン監督の『チャーリーとチョコレート工場』にも主演し、コアな作品にちょい役として出演するなど昔からのファンも満足させ、新たなファンも拡大してきている(昨年(2005)の久々の来日も熱狂的だった)。しかも、本人はこの人気に対して、全く無頓着といった感も強い。全面に出ることをせず、放蕩息子、無頼のイメージもあるし、知的なイメージもある。この辺がファンをひきつける理由なんだと思う。もちろん、そのルックスが大きな要因となっていることは間違いないのだが。そんなジョニー・デップが主演した、彼“らしいな”という作品が公開される。それが今回紹介する『リバティーン』である。
この作品は17世紀のイギリスに生きたジョン・ウイルモットこと第二代ローチェスター伯爵の生き様を綴った作品である。ジョン・ウイルモットのことを知っている方は決して多くはないと思う。当時のイギリスの国王のお気に入りだった彼は、女に酒と享楽的な世界の中に身を埋めながら、風刺詩人としての才能を遺憾なく発揮していく。彼は国王のお気に入りだったのだが、その風刺の対象は国王にも向けられていく。彼にとってはタブーなんて一切なかったのだ。その結果、彼は何度となく宮廷を追われることになる。でも、何度となくロンドンへと舞い戻ることを許可されるのだ。この作品のタイトル『リバティーン』(THE
LIBERTINE)とは「放蕩者」、「自由思想者」などを意味しているのだが、ジョン・ウイルモットとは正にそういった人物であり、17世紀のイギリスに生きた天才、アジテーター、トリックスターでもあるのだ。彼は50年代のアメリカに生きていたならビートの詩人となっていたかもしれない、70年代のロンドンなら真の意味でのパンクスになっていたかもしれない、現在ならアンダーグラウンドな部分から強烈なラップを放っていたかもしれない。考えてみれば、ジョニー・デップは映画界の異端児エド・ウッド(『エド・ウッド』)、ジャーナリズムにゴンゾ・ジャーナリズムという概念をもたらしたハンター・トンプソン(『ラスベガスをやっつけろ』)、女たらしのドンファン(『ドンファン』)などはずれ者、革命児を演じ、『ビートニク』というビート・ジェネレーションを捉えたドキュメントではその生き方に対する敬愛を示している。実際、彼は「後にも先にもめぐり合わない作品」とこの作品に対して発言し、脚本の数行を読んだだけで出演を決めている。それは当然のことだろう。
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作品は観客に向けてのジョン・ウイルモットの独白で始まる。それは「あなたたちは私を好きになることがないだろう。物語が進むにつれてどんどん嫌いになるはずだ。女とはやり放題だし、男の方もいける。」という挑発的な宣言である。そして、物語は追放された地からロンドンへと舞い戻ってくるジョン・ウイルモットが馬車の中で妻と愛を交わし、ロンドンの酒場で友人の劇作家に痛烈な毒を浴びせるシーンへと移っていく。そこで彼は「全ての王は嫌いだ」という強烈なメッセージを放つ。芝居を愛する彼は向かった劇場で観客から拍手喝さいを浴びる。それは彼が王のことを「お××こ野郎」と風刺し、追放され、戻ってきたからだ。彼は大衆にとってはヒーロー的な存在でもあるのだ。ここで彼はあるひとつの宝石の原石を発見する。それはこの舞台に出演しながら、ブーイングを浴び続けた女優である。彼は最高の原石である彼女を磨き続け、自らの心眼の正しさを証明するように一流の女優へと育て上げていく。彼は友人の劇作家に対し、自らの経験を重ねなければ、人生は学べないということを語り、女優に対しては俺は退屈しているから、君を感動できる演技が出来る女優にしてそういう芝居が見たいと言い放つ。そこにあるのは断固たる自己の批評眼と確信だ。これがあるから彼は全てのものへの風刺や愛情を注ぐことを止めることがない。結果的にはその行動が彼を追い込んでいく。でもそれは彼が分かりきり、どこかで望んでいたことでもあるはずなのだ。
出演はジョニー・デップの他、彼が育てる女優役にサマンサ・モートン、国王チャールズ二世役にジョン・マルコビッチなど。監督はCMの分野で圧倒的な評価を獲得し、この作品が映画監督デビュー作となるローレンス・ダンモア。
作品の見所のひとつはジョン・ウィルモットと宝石の原石である女優とのやり取りである。このシーンはジョニー・デップ以上にサマンサ・モートンの素晴らしさが光っている。考えてみれば、サマンサ・モートンにもどことなくはずれ者的なイメージがある。もうひとつの見所は国の委託により、フランスの大使のために彼が作り上げた壮大な舞台だろう。メジャーな劇団はもちろん、アングラな劇団だって、ここまで強烈なインスピレーションと時代の風刺に満ちた絵巻を作ることは出来ないだろう(そもそもアングラでは意味がないのだが)。結局、この舞台がきっかけで彼は表舞台から消えていく。その後の顛末は無残かもしれないが、彼は自分が自分であることをやめていない。
作品はロンドンで大ヒットし、アメリカではジョン・マルコビッチがジョン・ウィルモットを演じた舞台を映画化したものだという。映画化を勧めたのはジョン・マルコビッチであった(製作者にも名を連ねている)。舞台から映画への転換はそれがヒット作であるほど難しいだろうが、この作品はその試みを成功させている。特に映像の美しさには目を瞠るものがあるはずだ。
さて、この作品を観終わってジョン・ウイルモットを嫌悪するようになったかだが、それは観た観客にゆだねられるべきであろう。17世紀に生きた強烈な、真摯な男の人生をぜひ、劇場で味わってください。 |