「鬼才デヴィッド・クローネンバーグが描く、世界中が絶賛し、アメリカでは興行的にも大成功を収めた、予期せぬ正当な暴力がひとりの平穏な男と家族の人生を大きく転換していく様をサスペンスフルに描いたクローネンバーグらしさも光る作品」
映画から作家主義がなくなってきているという話をよく聞く。例えば、ウディ・アレンがニューヨークを離れたのも作品の内容に対するスタジオの要請(口出し)が強くなり、自分の思い通りにいかなくなったことが大きかったらしい。当たり前なのだが、作品の質が良く、メディア受けがよかろうが、興行に結びつかなかったらダメなのだから、必然的に作家主義もなくなってくるだろうし、その結果、逆に観る側も作家主義をなくしていく構造が生じてきているのだ。それでも強烈な個性を持った作家がいる限り、作家主義はなくならない。そういった強烈な監督のひとりである鬼才デヴィッド・クローネンバーグの新作が公開される。それが今回紹介する『ヒストリー・オブ・バイオレンス』である。
デヴィッド・クローネンバーグ監督についてはある年齢層以上の映画ファンなら『ザ・フライ』、『ヴィデオドローム』、『デッドゾーン』、『裸のランチ』なんて作品を持ち出せば間違いなくピンと来るはずだ。『秘密のかけら』が絶賛公開中のアトム・エゴヤンと共にカナダを代表する世界的な映画監督であるデヴィッド・クローネンバーグだが、ここ数年はちょっとパットしない状態が続いていた。だが、そうした状況もこの作品『ヒステリー・オブ・バイオレンス』で大きく変わった。2005年カンヌ国際映画祭で受賞こそならなかったものの大きな評価を獲得したこの作品はアメリカ国内で興行的な成功を手にし、ゴールデングローブ賞をはじめ様々な映画賞へとノミネートされ、部門賞も受賞、その年のベスト10にも多くのメディアが選出しているのだ。多分、彼の作品の中では最も大きな反響を受けた作品であることは間違いないだろう(ヨーロッパでなく、アメリカで受けたというのもちょっと異例だろう)。
この『ヒストリー・オブ・バイオレンス』というタイトルから現在のアメリカや世界というものを描いた社会派の作品を想像する向きもあると思うが、この作品はアメリカで絶大なる人気を誇るコミックの出版社DCコミックのヴァーティゴから刊行されているグラフィック・ノベルを映画化したものである。このからは『ロド・トゥ・パーディション』、『フロム・ヘル』などの映画化作品も生まれてきており、今後の映画化のひとつの潮流にもなっていくだろう。
物語は夫婦と子供ふたりの幸せに暮らす平凡な家族にある出来事が起こることで、その生活が大きく変化していく様を描いている。それは父親が自分の経営する店で強盗犯を撃ち殺し、殺される手前だった従業員を助けたことから始まる。彼は一躍、全米のヒーローへとなる。だが、そのことが父親が見ず知らずだという人物に付け狙われるという事態へと繋がっていき、家族は感情的にバラバラの状況へと追い込まれていくのだ。
作品はプロデューサーが原作のグラフィック・ノベルを読み、映画の可能性を感じたことから始まっている。製作会社も映画化を了承し、スタートしたこの企画は日本のコミック「モンスター」の脚本も決定しているジョシュ・オルソンにより脚本化されていく。クローネンバーグ監督はこの脚本の「普通の幸せな家族に暴力が入り込んできたら何が起こるのか」というテーマに魅了され、監督を引き受ける。クローネンバーグが魅了されたテーマは映画化を決めたプロデューサー、脚本家も最も魅了された部分であった。それは究極の選択が何をもたらすのかというドラマ的でサスペンスフルな物語展開へと繋がっていく。
強盗殺人犯を射殺し、メディアによりアメリカン・ヒーローへと祭り上げられた主人公はその行動により望んでもいない泥沼へと身を落とさざる得なくなる。ヒーローとなった父を目の前にする、いじめられっ子の息子は札付きのいじめっ子をボコボコにして停学を喰らう。普段から暴力を徹底的に否定している父親は息子に「暴力で解決するな」と怒鳴るが、あの事件の後ではそれすらも無に帰してしまう。暴力は目に見えぬ形で連鎖していく、正に『ヒストリー・オブ・バイオレンス』であるのだ。このタイトルにはそういった暴力の連鎖だけでなく、主人公の人生も隠されている。
物語はエンタティンメント性に満ちたサスペンス、平穏な暮らしを送れなくなった男の人生の物語、表面はサスペンスだが目に見えない暴力の連鎖を描いた物語、究極の選択としての暴力の是非を突きつける物語などストレートな展開でありながらも、様々な受け止め方、読み方が出来る内容となっている。
作品自体からは今までのクローネンバーグ監督らしからぬ違和を感じるかもしれないが、圧倒的な暴力シーンの描き方(頭をぶち抜かれた死体など)、乾いたタッチ、追い詰められていく感覚は彼らしさに満ち、この演出の冴えが作品に生気を与えていることは間違いない。仮に他の監督がこの作品を撮っていたら凡庸なものになってしまった可能性は相当に高かったはずだ。それを象徴的に示すのが、カメラを長まわしで、登場人物の動きと共に並行的に移動していくオープニングのシーンである。ここで起こっていることは想像できるが、この後の展開がどこに向かっていくのかということは全く想像が付かない独特の緊迫感に満ちたこのシーンで誰もがこの作品への期待を膨らませていくはずだ。何度となく描かれる強烈な暴力シーンにもその度に頭を無にするような緊張感を生じさせる。クローネンバーグの演出はもちろんだが、章を切り替えるかのように暗雲を感じさせる効果的な音楽、役者陣の演技も本当に素晴らしい(ヴィゴ・モーテンセンはもちろんだが、エド・ハリスの不適さ、ウィリアム・ハートの傲慢さ、大仰しさもいいです)。
アカデミー賞のノミネート、受賞が大きく集客を変えるかもしれないが、賞など考えずにサスペン・スリラーとして観ても、クローネンバーグの新たな持ち味が出た作品としても十二分に楽しめる作品である。ぜひ、劇場に脚を運んでください。 |