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『バッシング』

配給:バイオタイド
オフィシャルサイト:
http://www.bashing.jp/
この映画の予告編はこちらから


キャスト スタッフ データ
占部房子
田中隆三
加藤隆之
本多菊次朗
板橋和士
香川照之
大塚寧々
監督、脚本:小林政広
撮影監督:斉藤孝一
編集:川瀬準也

*第6回東京フィルメックス
  コンペティション部門
  最優秀作品賞 受賞
*第24回テヘラン・ファジル
  国際映画祭
  審査員特別賞 受賞

2005/日本/35ミリ/カラー/
ヨーロピアンヴィスタ/モノラル/
1時間22分


イントロダクション
「2005年 カンヌ国際映画祭コンペティション部門に唯一セレクトされた日本映画として大きな注目を浴びた、イラクで起こった日本人人質事件をベースとした作品が遂に公開」
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 よくある話なんだろうけど、とあるドキュメンタリー作品はその扱っている対象ゆえにDVD化が中止となり、全米で大ヒットした、とあるエンタテインメント作品はその扱っているテーマゆえに配給が中止になったということを聞いたことがある(どちらの作品も現場レベルでは「ぜひやりましょう」だったのが、上に反対されての結果だという)。これらの作品は他のビデオ・メーカー、配給会社を通じてきちんと流通したのだが、内容ではなく、テーマで判断されてしまうという部分に疑問と難しさを感じざる得ない。今回紹介する『バッシング』もそうしたテーマゆえに公開が難航していたであろう作品だ。
 一般的にはこの作品は最初にそのテーマではなく、とある映画祭に出品されたことで大きな注目を浴びている。それは昨年(2005)開催されたカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に選ばれた唯一の日本映画ということでだった(このときに大賞を受賞したのはダルデンヌ兄弟監督の『ある子供』だった)。様々なメディアがこのニュースを作品のテーマが2004年のイラクで起こった日本人人質事件をベースにしていること、未だに日本公開が決定していないことを付随しながら大きく報道した。結果的に作品はノミネートのみで受賞には至らず、注目を集めた映画祭が終了しても日本での公開は宙ぶらりんのままだった(いくつかは話があったのかもしれないが)。その後、同年の11月に開催された東京フィルメックスのコンペティション部門で最優秀作品賞を受賞。この映画祭に脚を運んだ配給会社の方の熱意により、あのカンヌでの話題から長い時間を経て、日本での劇場公開が決定した。公開が決まらなかったのはそのテーマと興行的な難しさゆえだろうが、例えば、カンヌ国際映画祭で大賞にあたるパルムドールなどを受賞していたらどうなっていたのだろうか、ということを頭にめぐらせてみるとなかなか興味深いものもある(答えはないのだが)。
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  この作品の公開が大きく遅れたのは2004年のイラクで起こった日本人人質事件をベースにしていること、それゆえに興行的な成功が見込めないことという2点に尽きると思う。2004年のイラクで起こった日本人人質事件は様々な波紋を起こした事件として記憶している方が多いと思う。この事件では彼らに対して所謂「自己責任論」が大きく噴出した。これは危険だと分かっているところに自ら行ったのだから、国(政府)としてできることは限られている、自業自得という考え方だ(これが噴出した時に僕自身は言いたいことは分かるが、それ以上に相当な違和感を感じた)。それ以降、この「自己責任論」はそこかしこに漂い始めた。
  物語は主人公である女性が職場であるラブホテルをクビになることから始まる。コンビニでおでんを買って外に出れば、そのおでんを若者によってたかって踏み潰される。家には嫌がらせの電話がかかり続ける。インターネット上にも誹謗中傷が山のように書かれているらしい。彼女は何かをしたことにより、そういった仕返しめいたことを受けているらしいのだ。彼女はそれに毅然とした態度で立ち向かうわけではない。コンビニではおでんを具ごとに分けて入れてもらい、汁を溢れるばかりに入れるように命令調に頼む。職場でもコミュニケーションを取らないし、家でも部屋に閉じこもっている。彼女の行動が起こしてしまったものは家族にも否応なく降りかかっているのだが、それに対する配慮もない。コンビにも自転車で飛ばして1軒しかないような寂れて荒涼とした海辺の町で彼女という存在を中心に人々は完全に閉じてしまっているのだ。この閉じたという状況はこの町に限らず、インターネット上、電話線の向こうなどどこまでも連なっている。唯一、閉じていないのは彼女の父親と義理の母親であるが、そこに対しては彼女自身が閉じてしまっている。実は最も閉じているのは彼女自身であるのだ。
  結局、ここには「自己責任論」などという問題はない。あるのは閉じてしまった人間関係の風景だけである。エンディングは閉じているからこそ、そこしかないという方向へ向かっていく。それが解決になるとは思えないが、閉じた中からは動く、逃げることしかできない。実際にはそれ以外の手段もあるだろうが、そこしかないのは現実でもあるのだ。
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  この作品のきっかけについて小林監督は、「自己責任論」でバッシングされていた彼らと当時の自分の状況が重なったということを語っているが、それはプロデューサーシステムで動き始めている映画業界の中で自分が映画監督である必要性がなくなってきているという部分でもあった。別に小林監督が異質だったのではなく、映画というシステムが変わってきているということなのだが、ここに対して最後の作品という気持ちで監督が撮ったのが、この作品だった。その反響はすでに書いたとおりである。
  作品は主人公の女性を演じる占部房子の表情、その彼女の表情や荒涼とした風景を捉えるカメラワークがとにかく素晴らしく、何よりも雄弁なものとなっている。わずか6日で製作された低予算の自主制作ともいうべき作品だが、言うべきもの、伝えたいことがあれば、ここまでのものが出来るという好例でもある。確かに興行的には難しいかもしれないが、こういう作品を求めている方も多いはずだ。興味を持ったなら、ぜひ、劇場に脚を運んでください。

ストーリー
「ある事件から帰ってきた彼女を待っていたのは誹謗中傷でしかなかった」
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 北海道の海辺にある小さな町で暮らす高井有子はバイト先であるラブホテルを突然クビになる。コンビニにおでんを買いに行っても店員からなんともいえない目つきで見られ、挙句の果てにはそのおでんを外にいた若者たちに踏みつけられてしまう。家には誹謗中傷の電話がかかりまくり、両親は頭を抱えている。それもこれも彼女が中東のある国で人質となり、開放された事件がきっかけだった。それ以来、彼女と家族はこうした攻撃に耐え続けていた。そしてその悲劇は更に彼女の家族を追い込んでいく。
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