「働くことなく、責任感もなく親となってしまった若者の行く末にあるものは・・・・。社会の現実を見据えた、カンヌ国際映画祭2度目のパルムドール大賞を受賞したダルデンヌ兄弟監督の最新作」
アメリカで高い評価を受ける映画とヨーロッパで高い評価を受ける映画は違うな、ということは常々感じている方が多いと思う。これも一概には言えないのだが、その傾向はヨーロッパがアート的な作品であるのに対し、アメリカはそれよりも大衆性のある作品であり、映画祭での受賞作にもそれが如実に現れている気がする(もちろん、国で区切られているそれぞれの作品はそうした国境を超えて公開され、大きな影響を及ぼしているのも当然の事実である)。今回紹介する『ある子供』はアート系の色合いの強いヨーロッパを中心に圧倒的な支持と評価を受けているジャン=ピエール&リュックというダルデンヌ兄弟監督の待望の新作である。
ダルデンヌ兄弟監督は世界で最も権威のある映画祭のひとつのカンヌ国際映画祭において、1996年の『イゴールの約束』で国際芸術映画評論連盟賞、1999年の『ロゼッタ』でパルムドール大賞&主演女優賞、2002年の『息子のまなざし』で主演男優賞、エキュメニック賞を受賞し、今回の『ある子供』ではパルムドール大賞を受賞した。1996年以降、彼らが監督した全ての作品が何らかの賞を、特にここ3作は連続して主要賞を、しかもその内2作が最高の栄誉であるパルムドールを受賞しているのだ。毎年のようにカンヌに出品している監督がいる中で、こういった評価を受けている監督は例がないし、当然、カンヌ以外の映画祭でも高い評価を獲得している。
日本でも彼らの作品はきっちりと劇場公開され、どちらかといえば、コアな映画ファンを集め続けているのだが、一般の映画ファンにまでその名前が広がっているとはいい難い。それは彼らの作品がエンタテインメント性に満ちたものではなく、社会派というレッテルを貼られる作品であること。その結果、小規模の公開となっていることが大きいと思う。でも、そうした流れも多少は変わるのかなという感がこの『ある子供』にはある。それは公開劇場がよりメジャーになったこと(この作品の公開前には数週間に渡り、彼らのこれまでの作品の特集上映も組まれていた)、ドキュメンタリー的作品に注目が集まってきていること、作品の内包するテーマが日本人にとっても身近な問題であるからだ。
その最も重要な部分である『ある子供』のテーマは作品の主人公、働くことなく、責任感もなく親となってしまった若者の辿る道である。“定職に付くことがなかったり、引きこもっている若者”のことを俗に“ニート”(NEET/Not
in Employment, Education or Training)と呼ぶが、こうした部分が若者の現状と重なってくるのだ。この働かない若者というのは先進国が抱える世界的な傾向でもある。そこには現実的に仕事がないという問題があるし、既成の社会ではどうにもならないという想いも横たわっているのだ(だから、景気が回復したら解決という単純な道筋にはならないはずだ)。
物語は少女が生まれたばかりの赤ちゃんを抱き、自宅のアパートへと向かうシーンから始まる。しかし、そのアパートには別の住民がいた。赤ちゃんの父親である彼から部屋をレントしているというのだ。少女はストリートで彼を見つけ、赤ちゃんを差し出すが、彼はそれどころではないという感じだ。定職もなく、引ったくりや盗品の販売でその日の金を稼ぎ出す彼は子供を優先するのではなく、彼女にお揃いのジャンパーを買ったりし、その場をすり抜けていく。彼女もそれがどうしようもない生活だろうが、彼と子供といれることに満足を感じ取っている。しかし、子育てと生活という現実は彼らに着々と忍び寄ってくるのだ。
こうした生活基盤も何もない、公的援助の方法すら知らない若者ふたりに子育てが出来るのかという物語の行く末には様々方向がある。ダルデンヌ兄弟監督はそんな若者の絶望から希望を描こうとしている。来日時の記者会見(詳しくはコラム
http://www.movienet.co.jp/column/index.html を参照)で監督たちは「私たちは若者たちは変わっていける力があると信じている」と語っているし、別のインタビューでは「希望を持てない貧困層が希望を持つことで、映画の観客が、より大きな希望を持つことが出来るのではないかと思っている」とも語っている。現実をリアルに、ドキュメンタリー・タッチで描いていくのが大きな特徴のダルデンヌ兄弟監督だが、最後は小さいながらも吹き消されることがないような希望の光が灯されるというラインはこの作品でも貫かれている。それはドキュメンタリー作家として映画監督という世界に飛び込んだ彼らだからこそ描け、描きたいと思う眼差しなのだろう。
この物語は街で乳母車を押す若い女性を見かけたことから生まれたという。最初は乳母車を押す母親について書くつもりが、話し合っていくうちに父親の話に変わっていく。そこには家庭を作り、維持するための基盤がなくなってきているという現実が反映されている。それは高い失業率であったり(ダルデンヌ兄弟監督の暮らすベルギーの若年層の失業率は20%を超えているという)、明確になりつつ階級差であったりという資本主義が行き着いた矛盾的なものであるかもしれない。そうした結果を受けて、母子家庭などが増えてきているという現実も生まれている。
前作の『息子のまなざし』は被写体に出来る限り接近していく映画には映らない第三者のようなカメラワーク、目線が印象的な作品だったが、今回の『ある子供』では普通の引き気味のカメラワークになっている。ダルデンヌ兄弟監督の作品はオープニングのテロップの部分からエンディングまでBGM、効果的な音楽の使用もないこと、その社会的なテーマから、ドキュメンタリー・タッチ、擬似ドキュメント的な捉え方をされているが、今回の作品はそういった部分を少しはみ出してきている。こうした部分も以前の作品より幅広い支持を受けることに繋がるのではないだろうか。
物語は父親である若者が生まれたばかりの子供を裏の組織を通じて売り払おうとしたことから大きく動いていく。若者は彼女に対しても、厳格な掟を持つ裏の組織にも、誰に対してもその場しのぎの行動と言葉でかわしていこうとする。結局はそれが彼自身を追い詰めていく。そこにこちら側は嫌な気分を感じ、ハラハラともなる。そして物語のキーとなる彼の行動とエンディングは様々なものを投げつけてくるはずだ。『ある子供』とはこの作品に登場する若者や子供たちはもちろん、そうした彼らの手本にもなれない(この作品の)大人たちも指しているのだろう。ぜひ、劇場に脚を運んで、この作品を味わってください。 |