「NYアンダーグラウンド・シーンの寵児であり、エイズで亡くなった最初の有名人クラウス・ノミの人生を綴ったドキュメンタリー作品」
たまに「え、こんな映画も公開するんだ」と驚かされるときがある。一部のマニアを除き、誰が観に行くのか見当もつかない作品。でも、そういう作品の公開はこちら側の心をちょっとくすぐったりするのも確かだ。今回紹介する『ノミ・ソング』もまさにそういった類の作品だ。
『ノミ・ソング』、別に“蚤の歌”ではない。でも“ノミの歌”ではある。この作品はクラウス・ノミという80年代に熱狂的なファンを獲得した異色のミュージシャン(にしてエンタティナー)のドキュメンタリー作品である。
今(2005/6)、HMVやタワーレコードといったCDショップに行くと、このクラウス・ノミのCDが大きくディスプレイされている。このドキュメンタリー映画の公開、それに加えてここ数年続いている1980年代の“ニュー・ウェイブ”リヴァイバルともいえる動きが大きいのだろう。クラウス・ノミは世界的なヒットには結びつかなかったが、ニューヨーク、パリ、そして東京で熱狂的なファンを獲得した特異なアーティストである。再評価の機運も高まったということか。
クラウス・ノミはドイツに生まれ、ニューヨークに移住。オペラ歌手を目指していたが、当時のアンディ・ウォーホールにより火をつけられたといっても過言ではないNYのクラブシーンにひょんなことから出演。ノミが最初に出演した舞台は悪ふざけと笑いに満ちたものだったのだが、そこに彼は肩パッドで思い切りいからせたタキシード、魔法使いサリーのお父さんのような髪型、白塗りの化粧というまるで宇宙人のような格好で登場し、オペラ調のソプラノの声で大真面目に歌い始めた。これがセンセーションを起こし、彼の舞台を見るために連日、多くの人が詰めかけ、ノミはNYアンダーグラウンド・シーンの寵児となっていく。オペラ歌手を目指していたといっても、子供の頃のノミはエルヴィス・プレスリーに憧れていたらしく、プレスリーのレコードを買おうと思ったが、親が反対し、手渡されたのがマリア・カラス(映画『永遠のマリア・カラス』も大ヒットしましたね)のレコードだったという。そこでオペラに開眼、でも元々はポップスが好きなのだから、ポップス的要素とオペラ的要素の融合は必然的だったと作品中の貴重なインタビュー・フィルムでノミは語っている。そういった彼の特異なスタイルはデヴィッド・ボウイなどからも注目されていき、TV番組(サタディ・ナイト・ライブ)での共演までに繋がっていく(作品の中ではこのときの共演の貴重なフィルムも使われているが、ボウイが完璧にプロフェッショナルな立場でノミのスタイルになっていることとニューウエーブ的素人さにも満ちたノミと対照的な姿が興味深い。作品中の観もののひとつだろう)。東京ではパルコなどのCMにも起用され、パリでは爆発的に受け、ついに念願のレコード・デビューを果たす。レコードも会社の想像以上に売れ(特にクラシック・コーナーで売れたという。いい意味での節操のなさはチャビー・チェッカーの“ツイスト”などに表れている)、すぐに2枚目のレコーディングに入るが、そこまでだった。結局、大成功を収めることはなく、ノミは当時“ゲイの癌”と呼ばれていたエイズで亡くなってしまう。1983年、僅か39年の人生だった。実は彼はエイズで亡くなったと公表された最初の有名人であり、不幸なことに彼のアーティストとしての存在よりもこのエイズで亡くなったということの方が印象を強くしている部分がある。もちろん、彼はゲイだったのだが。
この作品『ノミ・ソング』はエイズ、ゲイという側面ではなく、アーティストとして、人間としてのクラウス・ノミの人生を親族、友人、関係者などの証言や当時の貴重な映像により綴っていく(僕自身はこの人を中学生の頃に『スネークマン・ショー』で知った)。作品の中でも語られているが、レコード・デビューに際し、バック・バンドをプロのスタジオ・ミュージシャンに入れ替えてのノミはそれ以前のものに比べると完成度は高いかもしれないが、ノミ自身が持っていた面白みが確かになくなっている。それは素人的手作り感ともいうべき“ニュー・ウェイブ”的なものが消えうせてしまったのだ。“ニュー・ウェイブ”というシーンから登場し、生き残ったミュージシャンたちはこの素人さを装っていたり、克服し、独自のスタイルを編み出したりしたのだが、ノミの場合はそこが欠けていたんだなと考えてしまった(それでも残されている音源は面白いが)。80年代初頭のNY、“ニュー・ウェイブ”なるものを部分的にも感じ取るには最適の作品だ(その当時の色々な才能とリンクさせて観るのも一考かと思う)。ぜひ、劇場に足を運んでください。
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