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小人の少女アリエッティのまなざしで人間の世界を照射する物語。日常のすべてが冒険に思えてくる。(70点)
郊外の古い屋敷の台所の床下に住み、生活に必要なものは人間から借りて暮らす小人の一家。アリエッティは、ある日、人間に姿を見られてしまう。小人の種族では人間に姿を見られたら引っ越さなくてはいけない掟があった…。
原作はイギリスの児童文学で、メアリー・ノートンの「床下の小人たち」だ。小人という設定はなるほどファンタジーだが、そこには魔法や特別な武器はない。人間にみつからない程度に借りるものは、角砂糖やティッシュなど。それらを借りに行くことを彼らは狩りと呼ぶ。時には、床に落ちたマチ針を獲物にすることも。小人たちは、これらを大切に利用して用心深く暮らしている。過剰な消費に慣れた人間の暮らしとは対極の、慎ましく合理的なライフスタイルだ。そう思うと、借りと狩りをかけあわせた言葉に、思いがけず深い意味を見出してしまう。さらに言えば、物をほとんど所有せず、姿を見られれば移動する彼らには定住の地はないことから、仮、つまり一時的なという意味も読み取れる。小人の少女は人間の少年に出会うが、そこに永続性はないのである。
主人公の小人の少女アリエッティは、好奇心旺盛な14歳の女の子だ。ある時、油断したために、病気の静養でこの屋敷にやってきた12歳の少年・翔に姿を見られてしまう。翔は“生”への欲求が希薄なためか、小人という不思議をすんなりと受け入れた。アリエッティに話しかけ、角砂糖をそっとプレゼントする。だが翔の過剰な善意は小人の幸せにはつながらないのだ。人間は良かれと思ってやることで、いつだって“何か”を不幸にする。だから小人たちは人間に見られないように用心しているのだが、決して人間社会にこびることはない。彼らの精神は誇り高く、生きることはサバイバルだと全身で納得しているのだ。小人たちのたくましさには敬意さえ覚える。小人のことを滅びゆく種族と考えてしまう翔に対し、アリエッティはきっぱりと言う。「私たちは滅びたりしないわ。仲間はきっといる!」。
魔法がないのに不思議なその世界は、人間の日常を視点を変えてみつめることから、生みだされたものだ。そこにあるものをどれだけ違う価値観でとらえられるか。これが本作の最も味わうべきエッセンスだろう。加えて、ジブリらしい温かみのある絵柄も健在で、特にディティールの細かさに感心させられる。洗濯バサミで髪を束ね、マチ針を剣のように腰に挿すアリエッティの凛々しさ。ドールハウスの内装の繊細さ。緑あふれる庭と光。すべてが魅力的だ。美しさという点では、緑の葉にアリエッティのシルエットが映り、スクリーンのような効果を出したシーンが素晴らしい。人間と小人の世界の境界であるとともに、アリエッティと翔との間に流れる淡い恋心をも映し出すようだ。