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第74回ベネチア国際映画祭のコンペ部門に出品されている「三度目の殺人」の記者会見が現地時間5日に行われ、是枝裕和監督、福山雅治、役所広司、広瀬すず、音楽を手掛けるルドヴィコ・エイナウディが出席した。
【公式記者会見】
Q 是枝監督に質問です。展開がスローな作品ですが、全編を通してスリル/サスペンスを持続するための秘訣はなんだったのでしょうか?
<是枝監督>
まずはお集まりいただきありがとうございます。どの映画もだいたいスローといわれるのですが今回も自分のペースで作っているので、特になにかをゆっくりしたというつもりはないんですね。ガラス一枚隔てて向き合った男ふたりが言葉を交わさない時間、何かが止まって見えるその瞬間にいろんなものが動いて見える、実際は動いてないのに心の奥で何かが動いて見えるというのを丁寧に丁寧にやろうと思ったので、そういうことがもしかすると影響しているのかもしれません。ただ、止まって見える中で実は何かが動いて見える、というのをやりたいと思いました。
Q 素晴らしい映画でした。監督に質問です。エイナウディ氏を音楽に起用しようとしたきっかけは?
<是枝監督>
エイナウディさんとは今回とてもいいコラボレーションができたと思っていますけれども、きっかけは海外の映画祭を回っていた時にたまたま飛行機に乗って聞いた曲が彼の曲で音を聞いていたらすごく風景が浮かんだんです。特に 水、火 雪とか。その時は名前が読めなかったのですが、メモして日本に戻ってアルバムを買って、今回は脚本を書きながらずっと彼の曲を聞いていました。なのでサウンドトラックをお願いしたというよりかは、本の段階からこの音楽は絡まっています。すごく映画の中から生まれているような気がします。
Q エイナウディさんの側からの話も聞かせてもらえますか?是枝監督と初めてあった時にはどのようにアプローチを受けたのでしょうか?どんな話をしましたか?
<エイナウディ氏>
コンサートのために東京を訪れた時に、是枝組が撮影しているセットに招待されました。セットとは別の部屋で、編集中の映像を見せてもらったのが、この映画との出会いでした。もちろん台本は読んでいたし、是枝監督の作品も見てはいたのですが、この謎めいた物語に心惹かれ、直ぐに夢中になりました。黒澤監督の名作「羅生門」にも通じると思うのですが、様々な視点から語られていて何が本当なのか分からない。そこが面白いと思ったので、「最後の最後まで顕れない真実」というスピリット(テーマ)で作曲しました。
Q 監督への質問です。今回の作品は、近年の是枝作品とは全く違った作風になっていると思います。どうしてジャンルムービーを撮ろうと思ったのでしょうか?どうしてスリラーを撮ったのでしょうか?
<是枝監督>
観ていただいた方が感じたほど新しいことをやった意識ではないような気がするのですが、ただこの10年ぐらいホームドラマを続けて人間のデッサンを鉛筆で書いていたようなそういう意識なのです。今回はやや「家」から「社会」へ視野を広げて油絵で描くようなタッチを変えた作画をしているのですが、描く本人は変わらないので、変わっているところと変わってないところがあると思います。
Q (直前の返答を受けて)でも、どうしてスリラーだったのでしょうか?
<是枝監督>
スリラーをやろうと思って最初スタートしたわけではないですが、社会に目を向けた時に人が人を裁くことについて考えてみたいと思ったことがスタートとしてありました。日頃お付き合いのある弁護士さんと話をする中で、「法廷が真実を追求するところではない、利害の追及をするところだ」という一言を聞いたのが今回のモチーフ、きっかけになりました。脚本作りも実際の弁護士たちに入っていただいて一緒に作っていったプロセスがあるので、そういう意味では自分の記憶、家族をベースにして書いていたストーリーの作り方とは違う作り方をしました。そしてそれはとても刺激的でした。
Q 「そして父になる」はベネチアでも話題になりました。日本ではロックスターとしても有名な福山さんですが、今回も是枝監督から起用され、是枝作品の常連になりつつあると思います。今回は社会の襞をかきわけ、事件を捜査する役ですが、どういった心構えで臨んだのでしょうか?
<福山>
僕自身是枝監督、是枝作品のファンなのです。僕も音楽をやっているときはシンガーソングライターというスタイル、作詞、作曲、演奏、歌をやらせて頂いていますが、監督の映画作りの現場はすごく手作り感があり、原案、脚本、監督、編集をやられていて、全ての工程を俳優として参加しながらその現場を一番近くで見られるというのは僕にとってこの上ない贅沢な経験です。贅沢な経験であると同時にすごく刺激を受ける現場です。是枝監督という一人の人間を通して、そして映画製作を通して監督がどういう目線でこの人間社会を、人間を見つめているのかというのを知る機会を与えていただいています。私にとって自分の活動、表現をフィードバックできる現場で、参加させていただくことにいつも感謝しています。
Q 是枝作品ではよく「親子の関係性」にも言及されます。広瀬さん、役所さんはどういった心構えでこの作品に臨んだのでしょうか?
<広瀬>
私は10代だからこそ、少女だからこそ見える大人の方の言葉、行動、母への思いなど色んなものを客観的に見ていました。 お母さんが話す言葉を一字一句聞き逃さないように、ずっと話を聞いて、徐々にニュアンスが変わっていったり、どこか自分をかばうように話す姿を見て、また感情が生まれたりしていました。
<役所>
私は監督からは「だれか嫌いな人を二〜三人殺す練習をしたらどうですか…」、なんて言われたりはしませんでしたけど(笑)、監督から頂いた脚本と撮影の最終日まで脚本が変更になって、監督がどの方向に私たち俳優を導いてくれるのかというのが手に取るようにわかりましたので、それをひとつの手掛かりになんとかやりきることができました。
Q 劇中のセリフで、弁護士の父親である裁判官が以下のようにいうのが興味深かったです。「30年前は犯罪の原因を社会に求める風潮があった。当時もし有罪判決を下していれば今回の事件は起こらなかったかもしれない」このセリフは、日本の社会が変化して来ているという事実を表現しているのでしょうか?
<是枝監督>
そのセリフは僕が書いているのですが、父親が言っている通り犯罪は社会から生まれるという考え方が日本にも定着とは言いませんが、建前としてでも通用していた時代があったのですが、いま“自己責任”という言葉が日本ではいろんなところで使われていようになっていて、その犯罪が生まれた社会的な、時代的な、経済的な背景を武器にして個人の責任にしていくという流れは、裁判長が口にしたような形で今の日本を覆っているのではないか、と思い、そういうものを背景として描きたいと思いました。
Q 是枝監督からの「法廷とは真実を暴く場所ではない、と弁護士達が言っていた」という話に関連して、作中の「誰を裁くかを決めるのかは誰か?」というセリフがキーになると感じました。これに関してコメントをいただけますか?
<是枝監督>
それは広瀬すずが演じた咲江という役が、「誰を裁くかは誰が決めるんですか?」というセリフを主人公にぶつけるという形で言葉にしました。今回はずっとこの映画を撮りながら私自身が、人は果たして人を裁けるのか?法廷は誰かを裁く場所なのだろうか、それとも誰かを救う場所なのだろうか?ということを考えていて。それは多分、答えがあるわけではない。答えのない答えを作品を通して問うということが僕は映画にとって一番誠実な監督の態度だろうと思い、その問いを問い続けました。彼女の問いにも答えはないのでしょうけども、その問いを主人公にぶつけるという選択肢を選びました。
Q ニューヨークのIdeal Magazineです。昨夜作品を拝見して、最後の最後まで途切れない緊張感に感銘を受けました。一つ分からなかったのは「盲人が二人で象を触る」という挿話です。一人は耳を触っているがもう一人は別の体の部分を、というこの挿話の意図は、真実は二つある、ということなのでしょうか?
<是枝監督>
たぶん一つなんでしょうけども、私たちのような常人には確かなものとしては手にできないんじゃないですかね。 通常の物語だと謎があってだんだん解けていって犯人に辿りつくというのが王道だと思うのですが、今回は逆を行っているので。シンプルな分かりやすい事件だと思っていたのが複雑になって分からなくなっていく逆のルートを辿るつくりになっていますが、それは決してお客さんを煙に巻こうとしているのではなく、取材を通して出会った弁護士たちが判決の後にある釈然としない感情が残る「おそらくそうであろうと思いながらも、でももしかしたら・・・」と思いながらも次の裁判に行かなくてはならない、そんな弁護士が感じるもやもやとした感じを今回は主人公が感じ、お客さんも同じく感じていただくというチャレンジングかもしれませんが、そんな着地点を目指して作りました。そして、それを楽しんでいただけたようで嬉しく思います。
Q ドストエフスキーに影響を受けましたか
<是枝監督>
『罪と罰』は、学生時代に読んだだけなので、今回の映画を作るにあたって読み直したわけではないです。ただ頭の隅にあったかもしれませんね。影響を与えた作品のなかの一つだと思います。
公式記者会見の後、レッドカーペットと満席の会場で公式上映が行われた。上映終了後には、6分にも及ぶスタンディングオベーションが続き、監督・キャスト陣は手を振ってそれに応えた。
「三度目の殺人」 9月9日(土)より全国ロードショー