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1995年1月17日午前5時46分、「街」は一瞬で破壊され、ぼくたちは生き残った。
「その街のこども 劇場版」の公開にあたり、各界の著名人や、去る11月3日に兵庫県神戸市の東灘区民センターうはらホールで行われた親子試写会の来場者から数多くのメッセージが寄せらた。
<著名人>
僕たちは、この想像を絶する大きな痛みを決して忘れない。子どもたちの未来が明るくなることを思いながら。
三浦知良さん
15年前、自分も自宅で地震の揺れを感じました。記憶は鮮明に残っています。震災を風化させない為にもみなさんに是非観て頂ければと思います。
宮本恒靖さん(ヴィッセル神戸)
震災という悲劇を如何に活かすか。新しい日本を創る若者を活写する逸作!
田中康夫さん(衆議院議員)
月日の早さを感じると共に、あの時のことが走馬灯の様に頭を過ぎりました。携帯電話も今のように普及されてなく、公衆電話の行列が思い出されます。今は何事もなかった様に過ごしている毎日ですが、改めて天災(災害)の恐ろしさ、人と人との繋がり、思いやりを、今一度考える機会を与えてくれました。
えまお ゆうさん(女優/元宝塚雪組)
あの時、地球が割れたかと思いました。私も体験者として、『溝』を感じていましたが、この映画をみて、いろんな『溝』を知りました。世界中の人に伝わればと思っています。
紺野まひるさん(女優/元宝塚雪組)
生き残った者が背負う荷物の重みを、一歩一歩かみしめながら、彼らは街を歩く。そんな二人を見守る死者たちのまなざしは、温かい。
小川洋子さん(作家)
綾戸家のラッキーはあのとき家族3人が一緒だったこと。大切な人を、物を失った悲しみはいっぱい。そしてあれをたまたま乗り越えた家族はより一層の絆で結ばれていく。
綾戸智恵さん(ジャズシンガー)
震災を知らない若者たちや震災を体験しなかった人達にぜひ見てほしい作品です。そしてより多くの大人と子供たちが
地域の負った傷について語りあうきっかけになって欲しいと思います。
川嶋あいさん(シンガーソングライター)
数年で街は新しいビルや電飾のイベントで華やかにはなりましたが、心に残る傷やわだかまり、そして一部の人たちの罪悪感とも言える負の遺産は未だ癒されてはいません。決して忘れないでほしいあの瞬間を、想い起こしてください。
松尾貴史さん(放送タレント)
あの日の記憶は 実はこの国のすべての者が共有している記憶なのだと思う。そして時として 心の出口を求めて 私たちを一夜の夜歩きに誘うのだ。
名越康文さん(精神科医)
災害は<心の傷>を残すけれど、そこから人はつながり、新たな力を得ることもある。
香山リカさん(精神科医)
あらゆる事件は風化する。忘却される。でも息づかいを忘れてはいけない。彼らはそこにいた。笑っていた。怒っていた。泣いていた。愛していた。愛されていた。でも一瞬にして消えた。消えたからこそ思い続ける。声を聞きたい。呼びかけたい。
森達也さん(ドキュメンタリー作家)
新しい映像演出、新しい脚本、演技。これは未曾有の大災害から生まれた、小さな、しかし確実に新しい創造である。
大森一樹さん(映画監督)
二人は、一瞬バックミラーを見やるかのように過酷な記憶を見つめる。前へと進むために。祝福する街。朝の光。感動した。
犬童一心さん(映画監督)
僕はふたりの登場人物に寄り添うキャメラが本作の主役だと思った。夜の神戸をお散歩するような視点が「その街」を「僕らの街」にする力を発揮している。つまり、三人目の同行者は、あなたなのだ。
松江哲明さん(ドキュメンタリー監督)
<親子試写会から>
3歳、9歳、12歳の3人の子どもといっしょに試写会に行かせていただきました。当時神戸には主人しか住んでおらず、私も含めて誰も震災は経験していませんが、ここに生まれて成長してきた子ども達とともに命の大切さ、不可避な災害の理不尽さ、人のあり方についていろいろ考えるきっかけになりました。私としては主人公二人の切なさがひしひしと痛いほど伝わってきてもう少し年上の大人として「つらっかたね、つらいね、」と抱きしめてあげたいような気持ちになりました。
(一般女性)
中1の娘と参加しました。私は神戸の西区にいたのでそれほどひどい震災体験はないと思っていたのですが意識のない中でどうしょうも出来ない恐怖があったと、この映画をみて今さらながら感じました。なぜかこの映画をみた後は涙もろくなってるんですよね。今度は息子達にみてほしいです。彼ら(双子)は1歳半でしたから記憶にはないでしょうがこんな事が生まれ育った地であったと少しでも感じてもらえたら。いい映画を作って頂いて有難うございます。
(一般女性)
試写会に参加しました。テレビ放映のときは重たいテーマに耐え切れず、しっかり見ることができませんでした。録画したものの、一度も見る気になりませんでした。でも、テレビでは大雑把な展開しか分からなかったのに、大きなスクリーンで見ると、主人公たちの微妙な心情や、神戸の街の表情がしっかり伝わっていたことに少し驚きました。ラストシーン、あの東遊園地の前の交差点に、2人を撮影したほんの数分前、私も立っていたこと、主人公と同じように横断歩道を走っていって、私も初めて1・17に参加したこと─を思い出しました。映画と1・17が心に刻まれました。
(10代・一般男性)
私はあの時、1歳だった。 家族が私を守ってくれた。 友達には、親や兄弟が亡くなった子、瓦礫から助け出された子、タンスの下敷きになった子、あの時はまだ兵庫県に住んでいなかった子、いろんな子がいる。 それでも、毎年1月になるとあの日のことをみんなと話す。 それは私たちがあの日を体験した一番若い世代であって、だれもが忘れてはならないとおもっているから。 思い出すだけでつらいことも、いまだに当時の映像をみれないことも、まだまだ心の傷が癒えていないからかもしれない。 けれども、生き残ったからこそ喜びも幸せも感じることができた。あの日を風化させないためにも強く生きたいと思う。
(10代・一般女性)