1934年、満洲。外交官の杉原千畝は、堪能なロシア語と独自の諜報網を駆使し、ソ連北満洲鉄道譲渡の交渉を成功させる。しかしその裏で共に闘った仲間を失い、在モスクワ大使館への赴任を希望していた千畝も、ソ連から「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」として入国を拒否される。そのため千畝は、リトアニア・カウナスの日本領事館への勤務を外務省に命じられる。
1939年、リトアニアに渡った千畝は、新たな相棒ペシュと共に諜報活動を開始。ヨーロッパ情勢を探り、分析し、日本に発信する。やがてドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発すると、ナチスに迫害され国を追われた大量のユダヤ難民が、カウナスの日本領事館へヴィザを求めにやってくる。必死に助けを乞う難民たちの数は日々増して行くばかり。日本政府からの了承が取れないまま、千畝は自らの危険を顧みず、難民たちに日本の通過ヴィザを発給することを決断するのだが…。
新着映画情報
唐沢寿明 |
監督:チェリン・グラック |
2015/日本/シネマスコープ/139分 |
ひとりの日本人が、世界を変えた―。
1939年に領事代理としてリトアニアに赴任し、激動の世界情勢下で避難民となった人々(主にユダヤ系)にヴィザを発行。およそ6000人の命を救ったことで、「日本のシンドラー」と呼ばれている杉原千畝。その逸話が知られている一方で、千畝がロシア語やフランス語を操り、満洲、フィンランド、リトアニア、ルーマニア、チェコなど様々な国に滞在経験があったことや、身の危険を冒して情報を集め日本に発信し続けた「インテリジェンス・オフィサー」だったことを知る人はそれほど多くない。また、ソ連(当時)から警戒され「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」に指定された日本初の外交官だったことも、あまり知られていない事実である。そんな彼のドラマティックな半生を、「太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男-」(2011)の制作チームが映画化。
©2015「杉原千畝 スギハラチウネ」製作委員会