1939年2月、エジプトのイスマイリアでクロード・フランソワは生まれた。フランス人の父はスエズ運河の通行管理の仕事をする裕福な実業家、母はおおらかで派手好きなイタリア人。しかし、17歳の時に第二次中東戦争が勃発し、一家はモナコへと移住する。父の失業により、生活は苦しくなり、クロードは銀行に勤め家計を支えていたが、楽団でドラマーに抜擢され、ヴォーカルとしても人気を博すようになる。61年、クロードのミュージシャンとしての仕事を認めることはなく、父が息を引き取る。父の死後、パリに渡ったクロードはフィリップス・レコード社からソロ・デビューし、セカンド・シングル『ベル! ベル! ベル!』がヒット・チャート1位をマークし、200万枚以上を売り上げる驚異的なセールスを記録。64年にはフランス音楽界の殿堂オランピア劇場のステージにも立ち、押しも押されぬトップ・スターとなった。そして68年、フランス・ギャルとの失恋の体験から作った曲『コム・ダビチュード』(いつものように)を、尊敬するフランク・シナトラが『マイ・ウェイ』のタイトルでカバーしてくれたのだ。アメリカから送られてきたシナトラの『マイ・ウェイ』を初めて耳にしたとき、クロードの脳裏に浮かんだのは、イスマイリアの生家にたたずむ父エメの幻影だった・・・。
新着映画情報
『最後のマイ・ウェイ』
原題:Cloclo / My Way
配 給 : | カルチュア・パブリッシャーズ |
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公式HP: | 別ウィンドウで公式HPを表示 |
公開日: | 2013年07月20日 |
映画館: | Bunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー |
ジェレミー・レニエ |
監督:フローラン=エミリオ・シリ |
2012/フランス/シネマスコープ/ドルビーSRD/149分 |
傲慢で、女好き。嫉妬深く、神経質。けれど、私たちはあなたを愛した。
フランク・シナトラの名曲『マイ・ウェイ』を作り、39歳で夭逝したクロード・フランソワの生涯を映画化。彼はフランスのスーパー・スターにして、200を超える作詞、作曲をし、生涯に6,700万枚のレコードを売り上げ、現在も更新中。酒もドラッグも無縁で禁欲的に体を鍛え、歌って踊って、振り付けもし、出版社を立ち上げ、時代を先取りしたマーケティングのプロでもあった。しかし、1978年、フランスでの成功を収めアメリカデビューが決定した直後に39歳で夭逝し、世界に彼の名を伝えることはなかった・・・。17歳から39歳までのクロード・フランソワを演じるのは、「イゴールの約束」(96)「ある子供」(05)のジェレミー・レニエ。監督は「スズメバチ」(02)「ホステージ」(05)のフローラン=エミリオ・シリ。
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