昭和14年(1939年)夏。日独伊三国軍事同盟締結をめぐり、日本中が揺れに揺れていた。2年前に勃発した支那事変が泥沼化しつつある中、日本は、支那を支援する英米と対抗するためにも、新たな勢力と手を携える必要があった。強硬に三国同盟締結を主張する陸軍のみならず、国民の多くもまた強大なナチスの力に熱狂し、この軍事同盟に新たな希望を託していた。
しかし、その「世論」に敢然と異を唱える男たちがいた。海軍大臣・米内光政、海軍次官・山本五十六、軍務局長・井上成美。彼らが反対する理由は明確だった。日本がドイツと結べば、必ずやアメリカとの戦争になる。10倍の国力を持つアメリカとの戦は何としても避けなければならない……。陸軍の脅しにも、「世論」の声にも屈することなく、まさに命を賭して反対を唱え続ける五十六たち。その甲斐あって、やがて三国同盟問題は棚上げとなる。そして昭和14年8月31日、山本五十六は生涯最後の職である「連合艦隊司令長官」として旗艦「長門」に着任した。
しかし、時を同じくして世界情勢は急転し始める。アドルフ・ヒトラー率いるナチス国防軍がポーランドに進攻。それを機に欧州で第二次世界大戦が勃発した。快進撃を続けるドイツの力に幻惑され、日本国内では再び三国同盟締結を求める声が沸騰する。そしてその流れに抗しきれず、海軍大臣・及川古志郎は従来の方針を改め、同盟締結に賛成してしまう。昭和15年9月27日、日独伊三国軍事同盟がついに締結される。その後日本は急速に戦争への坂道を転がり落ちていった……。
およそ40万人の将兵を預かる連合艦隊司令長官・山本五十六は、対米戦回避を願う自らの信念と、それとは裏腹に、日一日と戦争へと向かいつつある時代の流れのずれに苦悩し続ける。しかし昭和16年(1941年)夏、どうしても米国との戦争が避けられないと悟った時、五十六は一つの作戦を立案した。米国太平洋艦隊が停泊するハワイ、真珠湾を航空機によって奇襲する。世界の戦史に類を見ない前代未聞の作戦を、軍令部の反対を押し切ってまで敢行しようとする五十六。それは戦争に勝つためではなく、一刻も早く戦争を終わらせるための、苦渋に満ちた作戦だった……。
新着映画情報
役所広司 |
監督:成島出 |
2011/日本 |
誰よりも、開戦に反対した男がいた。
山本五十六の名は、真珠湾攻撃によって日米開戦の端緒を開いた戦略家、日本を代表する海軍軍人として今でも広く知られている。しかしその「実像」はあまり知られてはいない。まさに今の日本に求められている人間……即ち、困難な時代における理想的なリーダー像を体現している人物。それが山本五十六の「実像」に他ならない。例えば、日本と米国の国力の差を熟知していた視野の広い国際感覚。来るべき戦争は国を挙げての総力戦になると断じ、そうなれば日本本土が空襲に遭い戦禍に見舞われることにもなりかねないと危惧した、その卓越した先見性。何よりも人の命を守ることを優先させたその信念の固さ。
命を賭して戦争に反対した山本五十六が、何故自ら開戦の火蓋を切って落とさねばならなかったのか。あの真珠湾攻撃から70周年の節目の年を迎えた今、その謎を解き明かすことが、現在、未曾有の国難に瀕する我々にとって、そして我々の子供たちの明るい未来にとって、大切な羅針盤となるのではないだろうか。
主人公、山本五十六役には日本映画界を代表する名優、役所広司。彼とともに三国軍事同盟反対を主張する、いわゆる海軍の“良識派三羽ガラス”ー海軍大臣・米内光政(よない みつまさ)に柄本明、軍務局長・井上成美(いのうえ しげよし)に柳葉敏郎。監督は「孤高のメス」(10)で日本アカデミー優秀監督賞を受賞し、最新作「八日目の蝉」でも高い評価を得た成島出(なるしま いずる)。