1763年、ヴェネツィアの教会でユダヤ人の子供たちが並んで洗礼を受けていた――。
自らもユダヤ人であるジャコモ・カサノヴァが、儀式を苦々しく見つめている。ユダヤ人少年、エマヌエーレは、キリスト教に改宗する決心がつかず、洗礼の列から離れるが、教会の書物全てを閲覧する自由と引き換えに、洗礼を受け入れことに。こうして、エマヌエーレはロレンツォ・ダ・ポンテと改名することになる。
青年となったダ・ポンテは、神父として仕えながらも自由や芸術を愛し、放蕩三昧。文筆の才能を発揮し、教会や審理会の権力を皮肉る過激な作品を発表することもあった。更には秘密結社にも属し、教会に反逆したとしてヴェネツィアからの15年間の追放を言い渡される。カサノヴァはダ・ポンテに、ヴェネツィアよりも自由な気風に溢れたウィーンに行くことを薦め、イタリア生まれの作曲家アントニオ・サリエリへの紹介状を託す。
1781年、ダ・ポンテはウィーンに新天地を求めたーー。
サリエリを訪ねる途中、美しい音色を奏でるヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトと出会う。オペラのリハーサルを行なうサリエリの元に赴いたダ・ポンテは、そこで歌手のカヴァリエーリやアドリアーナ・フェラレーゼ、更には皇帝ヨーゼフ二世に紹介される。放蕩者と噂されるダ・ポンテに興味を抱いた皇帝は、彼にモーツァルトのオペラの新作を書くように提案する。彼の台本による《フィガロの結婚》は大評判となり、皇帝もいたく気に入った。
数年後、今やウィーンの人気劇作家となったダ・ポンテは、愛人にしたフェラレーゼを伴ってデュクス城を訪問する。そこには回顧録を執筆しているカサノヴァが滞在していた。カサノヴァは、モーツァルトと組んで自身の軌跡を踏まえた新版《ドン・ジョヴァンニ》を作るように、ダ・ポンテに助言する。ダ・ポンテはサリエリと一緒にモーツァルト宅を訪れ、《ドン・ジョヴァンニ》の計画を話す。これまでに何度も舞台化されていると、最初は乗り気ではなかったモーツァルトだったが、ストーリーを語るダ・ポンテの巧みな話術もあって次第に興味を示す。そして、その日から二人での共同作業が始まったが・・・。
新着映画情報
『ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い』
原題:IO, DON GIOVANNI
配 給 : | ロングライド |
---|---|
公式HP: | 別ウィンドウで公式HPを表示 |
公開日: | 2010年04月10日 |
映画館: | Bunkamura ル・シネマ、銀座テアトルシネマ他全国順次ロードショー |
ロレンツォ・バルドゥッチ |
監督:カルロス・サウラ |
2009/イタリア・スペイン/シネマスコープ/ドルビーSR、SRD/127分/イタリア語・ドイツ語 |
ダ・ポンテ(天才劇作家)×モーツァルト(不世出の音楽家)、ここに至高のオペラ《ドン・ジョヴァンニ》誕生の秘密が解き明かされる!
1787年、音楽史上に燦然と輝くオペラ《ドン・ジョヴァンニ》が、初めて聴衆の前で演じられ、大成功を収めた――。比類なき音楽家、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが31歳の時に発表し、代表作と謳われる《ドン・ジョヴァンニ》。その誕生には、モーツァルトのイマジネーションを刺激し、鼓舞した劇作家、ロレンツォ・ダ・ポンテの存在があった。
本作は、《ドン・ジョヴァンニ》誕生を支えたもう一人の天才、ダ・ポンテの絢爛たる軌跡に焦点を当て、モーツァルト、色事師ジャコモ・カサノヴァ、モーツァルトのライバル的存在であったアントニオ・サリエリ、当時のウィーンでディーヴァと讃えられたアドリアーナ・フェラレーゼ、芸術をこよなく愛した皇帝ヨーゼフ二世等の多彩な登場人物と共に、傑作オペラの創作過程を描く。
スペインが誇る巨匠、カルロス・サウラ(「カラスの飼育」「血の婚礼」「カルメン」)が、史実から自由に発想を膨らませて、虚実織りなすドラマを創り上げた。
(c)2009: Edelweiss Production (Italia), Intervenciones Novo Film 2006, AIE e Radio Plus (Spagna)