妻に先立たれ、高齢者向けの料理教室に通うなど、引退生活を楽しむシー氏のただ一つの気がかりは、離婚して一人で暮らす娘イーランのことだったー。
到着早々、シー氏はイーランの生活に面食らう。朝食も食べずに出勤し、帰宅も夜遅い。部屋は殺風景で、中国の華やかな飾り付けは何一つない。シー氏はさっそく中華鍋を購入し、腕をふるって夕食を作り、イーランの帰りを待つ。しかし娘は、お愛想程度に箸をつけるだけで、父の話にも笑顔すら返さない。幸せではないのかと問いかける父に、イーランは「お父さんも昔は無口だったわ。幸せじゃなかったの?」と返すのだった。
シー氏は、近隣に住む人たちと、積極的に交流する。「ロケット工学者だった」と現役時代の話をすると、誰もが好意的に接してくれる。宗教に勧誘しようとする若い青年たちには、マルクスを持ち出して逆に共産主義を説こうと試みる。やがてシー氏は、公園のベンチで出会う裕福なイラン人マダムとの会話を楽しむようになる。会話と言っても、カタコトの英語に、互いには分からない中国語とイラン語が混じり、あとはジェスチャーと表情。それでも、父との夕食すらも避けるようになった娘に比べれば、何倍も心が通じ合うのだった。
新聞を読み、英語を学び、シー氏のアメリカ生活は、それなりに充実していた。しかし、シー氏の最大の目的は、娘の離婚の原因を探り、手遅れにならないうちに再婚を勧めることだったが・・・。