カムチャッカ沖で蟹を獲り、船上で缶詰に加工する蟹工船・博光丸。ある日、労働者の一人・宮口は監視の目を盗んで船からの脱走を試みる。だが、彼の行く手を阻むように落下して来たのは、大量の蟹だったー。
博光丸では出稼ぎ労働者たちが劣悪な環境におかれ、安い賃金で過酷な労働を強いられていた。監督・浅川は労働者を人間扱いせず、労働者たちはつらい仕事が終わると、当然のように生まれながらの絶望を背負った自らの境遇を自慢げに語り合う日々を送っていた。
労働者の一人・新庄は、未来のない現世に見切りをつけて、来世に希望を見いだそうと語りだす。金持ちに生まれ変わると信じて集団自殺を試みるが、いざ決行となった時に、その言葉を信じて死ねる人間は一人もいなかった。新庄にのせられて、うっかり自殺を試みたことを皆で笑い合う。しかし、楽しい時間もつかの間、労働者たちはさらなる重労働へと駆り出されていく。そんな極限状態の中、沸き起こる労働者同士の内紛。
ある時、漁に出ていた新庄と塩田が博光丸からはぐれてしまい、ロシア船に救助される。そこで見たのは、コサックダンスを陽気に踊るロシア人たちの姿であり、楽しげな音楽の宴。初めて感じる自由という名の世界だった。
一方船内では、脱走を試みた宮口が折檻を受けトイレに閉じ込められていた。朦朧とする意識の中、何かを訴えるかのように彼が叩く扉の音は、蟹工船に乗る者すべての耳へと届く。やがて、絶命する宮口。
極寒の海に囲まれ、逃げ場のない蟹工船という地獄を、労働者たちは改めて認識した。生きることに絶望して、海に飛び込もうとした若い雑夫。彼を救ったのはロシア船から戻ってきた新庄と塩田だった。新庄は、夢見るだけでなく、願望を実現する為に行動しなければならないと再び蟹工船へと戻ってきたのだ。そして、労働者たちに一斉蜂起を呼び掛けた。「あきらめるには、まだ早すぎるっ!我々は立ち上がらなければならないっ!」
新着映画情報
松田龍平 |
監督・脚本:SABU |
2009/日本/109分 |
支配する者と支配される者、果てなき欲望と絶望の激突!いまから80年前に小林多喜二が伝えたかったメッセージ、そして SABU 監督が現代の日本に呼びかける≪希望≫の意味とは?
1929 年、小林多喜二が発表した小説『蟹工船』。劣悪な環境で働く労働者たちの闘争を描いたこの作品は、プロレタリア文学の最高峰と賞賛され、歴史に名を刻んだ。
そして現在。世界同時不況の中で、誰もが「不景気だ」とつぶやき、〈派遣切り〉をはじめとするネガティブなキーワードがあふれる日本において、多くの人々が『蟹工船』に込められたメッセージを嗅ぎ取った。ある書店の一枚のPOPから始まり、あらゆるメディアにとりあげられ、昨年末流行語大賞のTOP10入りを果たすなど、『蟹工船』は時代を超えて再び脚光を浴びた。
この名作を多様な価値観が氾濫する現代へ向けて、新機軸で映画化したのが疾走感あふれる作風で多くのファンを持つ映画監督・SABU。原作の持つ物語の構造は残しながら、スタイリッシュな映像と独特のユーモアを武器に、現代的なアレンジを施した。
映画「蟹工船」の船内で熱い火花を散らす男たちを演じるのは、日本を代表する俳優たち。虐げられる労働者のリーダーとなっていく新庄を演じるのは松田龍平。そして労働者を酷使する監督・浅川には、抑制の効いた演技が高い評価を受けている西島秀俊。今作では、欲望のためならば他人の犠牲もいとわない冷酷な男を、いままでのイメージを覆す怪演で演じきっている。