重い荷物を背負い、幼い男の子の手を引き、凍てつくパリの夜の街角をさ迷う若い女。路肩の工事現場の奥に入り、雨風をしのげる場所を確保した二人は、そこを一夜の宿と決め眠りに就いた。「手を握って」。暗闇で母ニーナに手を伸ばす、その子の名はエンゾ。
母子は、ベルサイユの森で掘っ立て小屋に住む男・ダミアンと出会う。その翌朝、幼いエンゾを置いたまま、走り書きだけを残してニーナは姿を消していた。「どこから来たんだ?」「ママの勤めていた工場の名前は?」、幼い子を押し付けられたダミアンは、憤りのあまりエンゾに激しく詰め寄ったが...。
森に住んでいるのはダミアンだけではなかった。移民、インテリ、老婆、妊婦…、さながら社会の縮図だ。森での生活の中で、エンゾは次第に笑顔を取り戻していく。ある日、ダミアンとエンゾの二人は、スーパーの裏手で破棄された食料を漁っていた。突然エンゾが痛みに悲鳴を上げる。ホームレス避けの薬品が撒かれていたのだ。怒りに店のウィンドウを割るダミアン。このままの生活は続けられない…。
ニーナは、不慣れながらも懸命に介護の仕事をしていた。ベッドに横たわる老女の体を拭いていた彼女は、その老女に耳元で囁かれる。「あなたは素晴らしいわ」と。エンゾを迎えに行こう。ニーナは森に戻った。しかし小屋は焼け落ち、エンゾとダミアンの姿はそこには無かった。今さらながら後悔の念にかられ、悲嘆にくれるニーナ。
同じ頃、別の場所の新しい小屋で、ダミアンは病に冒されていた。激しく咳き込み、意識が混濁する。このままでは死んでしまう。「人を呼べ」。ダミアンの言葉に、ベルサイユ宮殿に走るエンゾ。観光客の合間を抜け、宮殿内にたどり着いた彼は、宮中の衣装をまとった警備員の手を引いた。
何日経ったのだろうか。回復し、病院を退院するダミアンの姿があった。外に出て煙草に火をつける彼の前に、エンゾが立っていた…。
ダミアンはエンゾのために、社会へ戻る決心をし、森を出て、疎遠となっていた父を訪ねる。「部屋が欲しい。一週間でいいんだ」とダミアン。父は「働け。またお前と揉めるのはご免だ」と一度は拒んだものの、幼い子を連れた息子を家に上げた。父の傍らには、美しい女性・ナディーヌ。父の新しい伴侶のようだ。
日雇いの解体作業にも就き、新しい生活が始まった。エンゾを学校に入学させるため、その場の作り話で市役所の役人を誤魔化して書類を作成させ、エンゾを認知することも出来た。憎しみ合っていたダミアンと父の関係も、エンゾの存在のおかげで氷解しつつあった。エンゾもナディーヌになつき始め、変化を受け入れているかに思えた。しかしある晩、エンゾが言うー「小屋へはいつ帰るの?」。ダミアンは答えるー「もう帰らない」...。
新着映画情報
『ベルサイユの子』
配 給 : | ザジフィルムズ |
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公式HP: | 別ウィンドウで公式HPを表示 |
公開日: | 2009年05月02日 |
映画館: | シネスイッチ銀座にて公開 ほか全国順次公開 |
ギョーム・ドパルデュー |
監督・脚本: ピエール・ショレール |
2008/フランス/ヴィスタビジョン/ドルビーSRD/113分 |
寒くても、 お腹がへっても、 手を握っていてくれたら ぼくは泣かない。
ベルサイユ宮殿の森で、社会からはみ出て独り暮らす男が、母親に置き去りにされた見ず知らずの子供と出会った。 これは、強くて美しい絆の物語...
観光客で賑わうパリ郊外の世界遺産、ベルサイユ宮殿。17世紀フランスの繁栄の証であるその宮殿のはずれに、現在多くのホームレスが棲んでいる。
物語は、社会からドロップアウトしてベルサイユの森のはずれで、ひっそり生きてきた男が、若い母親に置き去りにされた、見知らぬ5歳の子供の世話をする羽目になるところから始まる。すべてを諦めたかのような男・ダミアンと、幼な過ぎてまだ何も分からない子供・エンゾ。寒さと飢えをしのぎながら生活を共にするうち、ふたりの間にはいつしか本当の親子以上の情愛が生まれるのだったが…。
本作は第61回カンヌ国際映画祭“ある視点”部門に出品され、静かな感動の渦で上映会場を包み込んだ。誰もが驚嘆したのがエンゾに扮する、これが映画デビューのマックス・ベセット・ドゥ・マルグレーヴの、天使が舞い降りたかのような、愛らしさ。無垢な笑顔と、強い意志を感じさせる目の力、リアリティに満ちたその佇まい。恐るべき名子役の誕生だ。ダミアンには、2008年10月、急性肺炎のために37歳の若さで惜しくもこの世を去った名優ギョーム・ドパルデュー。社会からはみ出して、自ら孤高の人生を選択したダミアン役は、その繊細さゆえに問題児扱いされてきたギョーム自身の波乱万丈の実生活そのもの。幼いエンゾを守るために、疎遠だった父を頼るくだりでは、国民的俳優である父ジェラール・ドパルデューとの確執と和解をも思い起こさせる。