2000隻の軍艦を率いて赤壁に侵攻してきた曹操は、兵の士気を高めるために、蹴鞠の大会を催していた。そこに、孫権の妹・尚香が男装して潜入していた。尚香は曹操軍に疫病が蔓延していることを伝書鳩に託して孔明に伝えるが、その後、戦慄の光景を目撃する。疫病でなくなった兵士たちの死体が船に積まれ、連合軍のいる対岸へと流されていたのだ。
曹操の冷酷非情なやり方に、周瑜をはじめ、連合軍は憤りを感じるが、傷ついた兵士と広がりつつある疫病を目の当たりにした劉備は自軍の兵と民のために、撤退を決意してしまう。しかし、孔明は周瑜とともに戦うため、戦地に残るのだった。
劉備たちが去った後の陣営には、十分な食料もなく矢も5万本程度しか残っていなかった。劉備たちが4万本の矢を持って行ったことの責を問われた孔明は、三日で10万本の矢を調達すると周瑜に宣言。一方、周瑜も水上戦に長けた曹操軍の武将・蔡瑁(さいぼう)と張允(ちょういん)を排除してみせると宣言する。お互いの首をかけた発言に周囲は冷や冷やするが、当の本人たちは涼しい顔をしているのだった。
ある日、周瑜のもとに、今は曹操に仕えている幼なじみの蒋幹(しょうかん)が訪ねてくる。蒋幹は、曹操が小喬(しょうきょう)を手に入れるために戦争を始めたことをほのめかし、周瑜に降伏を勧めるが、それでも周瑜の決意は揺るがない。旧交をあたためるふりをしながら周瑜の動向を探っていた蒋幹は、蔡瑁と張允が周瑜と裏で繋がっていることを示す手紙を見付け、急いで曹操のもとへと持ち帰る。が、それは周瑜が用意した偽の手紙だった。
一方、最初の二日間で1本の矢も入手していなかった孔明は、藁で覆った船20隻を率いて敵陣へと侵入する。濃霧で視界不良の中、敢えて弓矢の一斉攻撃を受け、まんまと敵の矢を手に入れることに成功する。
曹操軍の陣営の配置図を完成させた尚香が無事に帰還する。2000隻もの戦艦が書き込まれた配置図に連合軍は声を失うが、周瑜は戦艦と戦艦の間にある印の意味を尚香から聞き、そこに勝機を見出す。しかし、その作戦を実行するには風向きが悪かった。そこで孔明は、気象学、地理学を駆使して、連合軍に有利な"東南の風"が吹く日を割り出そうとする。
その頃、自分が戦争の発端であることを知ってしまった小喬は、一艘の船に乗って曹操のもとへと向かっていた・・・。
圧倒的な戦力差の連合軍に、はたして勝機はあるのか? 孔明の秘策は通用するのか? 劉備たちは戻ってくるのか? そして、東南の風は吹くのか? 歴史に残る大戦"赤壁の戦い"がいよいよ決着の時を迎えようとしていた・・・。