![ストーリー](http://www.movienet.co.jp/images/movie_icon_story.gif)
72年のニューヨーク。金融や保険業界で働いていたハーヴィー・ミルクは、20歳年下のスコット・スミスと出逢い、恋に落ちる。2人は新しい人生を求めて自由の地、サンフランシスコに移り住む。転居先はアイルランド系の移民労働者たちが数多く住んでいたユリーカ・ヴァレー地区。60年代後半から、同性愛者やヒッピーたちの流入も続いていたこの地域は、やがて「カストロ地区」と呼ばれるようになる。 当初は職にも就かず、自由気ままな暮らしをしていたミルクたちだが、貯金の底が見える頃に自分たちのアパート1階に小さなカメラ店「カストロ・カメラ」を開店。社交的でユーモアにあふれたミルクの人柄はたちまち周囲の同性愛者やヒッピーたちを惹き付け、店は周辺商店主や住民たちも含めた情報交換の場、コミュニティ・センターの様相を呈し始めた。だが、近隣にはアイルランド系の保守的なカトリック層も多く、同性愛者たちを快く思わぬ者たちもいた。ミルクは、そうした差別的な既存の商工会に対抗して、カストロ・ヴィレッジ協会という新しい商工会を結成。恋人であるスコットらの理解と協力を得て、地元商店街や近隣住民の抱える問題に政治的により深く関わり始め、「カストロ・ストリートの市長」というもうひとつの名を持つようになる。
1973年11月、ミルクは初めてサンフランシスコ市の市政執行委員(日本の市議に近い役職)の選挙に立候補。"自由な地"サンフランシスコであっても同性愛者に対する偏見と暴力が公然と横行していた当時、彼はすべての人のための権利と機会の平等を求めるが、落選。2年後の75年、2度目も落選する。ただ、この年にはミルクも支援した州上院議員だったジョージ・モスコーニがSF市長に当選。ミルクは同市長によって市の上訴認可委員に任命されるが、今度は76年の州議会下院選挙に打って出るために同委員も辞めることになった。 この頃から、恋人スコットともすれ違いが生じ始めるが、ミルクは大きな政治の時代のうねりの中で、すでにスコットだけのミルクではなくなっていた。州議会選でも3度目の敗北となったミルクは、スコットとの約束に反して4度目の選挙である77年の市政執行委員選に立候補。ついに彼との別れを経験するミルクだったが、その代償のように、小選挙区制に変わった新制度のもと、カストロを含む第5区で念願の当選を果たす。それは、同性愛者だと公言して米国史上初めて公選された公職者の誕生だった。
だが、同性愛者や、人種の違うさまざまな人々、障害者など、社会的立場の弱いマイノリティの権利獲得を目指すミルクに対する保守派の反対は強く...。