ウォルト・コワルスキーには、自分だけの正義があった。それに外れるものは、何もかも許せない頑固で偏狭な男だ。妻の葬儀では、孫娘の露出過剰なファッションにキレ、大勢の参列者は「会食に出すハムを食いに来ただけだ」と一刀両断。説教が気に入らない新米神父には、「頭でっかちの童貞」と毒づく。ふたりの息子たちは、式が済むと逃げるように帰って行った。
もっと、許せないことがある。近隣に暮らす、ウォルトが偏見を隠さないアジア系の移民たちだ。大人たちは家屋の手入れをせず、若者たちはギャングを気取って異人種間の小競り合いを繰り返している。彼らに罵声を浴びせる以外のウォルトの日常は、いたって退屈だ。自宅を修繕し、芝生を刈り、愛犬デイジーに語りかけながらビールを飲み、月に一度は床屋へ行く。そんな彼の唯一の楽しみは、磨き上げた愛車〈グラン・トリノ〉を眺めること。定年までフォードの自動車工を勤め上げたウォルトが、1972年に自らステアリング・コラムを取り付けたヴィンテージ・カーだ。
その宝物を盗もうとする、命知らずの少年が現われる。隣に住むモン族のタオだ。学校にも行かず仕事もないタオは、従兄のスパイダーに不良グループへ引き込まれ、車を盗めと命令される。夜中にガレージに忍び込んだタオは、ウォルトにM-1ライフルを向けられて、逃げ出した。ウォルトは、朝鮮戦争で使い込んだそのライフルを、タオにヤキを入れに来たスパイダーたちにも突きつける。彼は自宅の庭に侵入されて激怒しただけなのだが、タオを不良たちから救う結果になるのだった。
翌日、タオの母と姉のスー、そして親戚までが、花に植木、料理にお菓子とお礼を持って押しかけるが、ウォルトには迷惑なだけだった。数日後、ウォルトはスーが黒人の二人組に絡まれているところを助けてやる。朗らかで機転の利くスーとの会話は、ウォルト自身意外なことに実に楽しいものだった。
また別の日、ウォルトはスーから自宅に招待される。ビールに釣られて訪ねると、最初は気まずい空気が流れるが、祈祷師に心の中をズバリ言い当てられ、女たちに美味しい料理を振る舞われ、ウォルトは思わず「どうにもならない身内より、ここの連中のほうが身近に思える」と呟く。
今度はスーと母親がウォルトを訪ね、お詫びにタオを働かせてほしいと強引に頼みこむ。渋々引き受けたウォルトとタオの不思議な交流が始まった。近隣の家の修繕を命じられたタオは、労働の喜びに目覚めていく。手本となる父親がいないタオにとって、ウォルトはまさに人生の師だ。ウォルトもまた、生き生きと働くタオを見直し始める。約束の日数が過ぎても、タオは何かとウォルトを手伝った。
今やウォルトは、タオを一人前の男にするという人生の最後に相応しい仕事に、生きる喜びを感じていた。何もかもが順調に見えた時、スパイダーたちの嫌がらせが再燃するのだった...。
新着映画情報
『グラン・トリノ』
原題:GRAN TORINO
配 給 : | ワーナー・ブラザース映画 |
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公式HP: | 別ウィンドウで公式HPを表示 |
公開日: | 2009年04月25日 |
映画館: | 丸の内ピカデリーほか全国ロードショー |
クリント・イーストウッド |
監督:クリント・イーストウッド |
2008/アメリカ/シネマスコープ/DTS、SDDS、ドルビーデジタル/116分
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男は迷っていた、人生の締めくくり方を―。少年は知らなかった、人生の始め方を―。そして、二人は出会った。
監督を兼ねる本作で、オスカー受賞作「ミリオンダラー・ベイビー」(04)以来の映画出演をはたしたクリント・イーストウッド。今回の役どころは朝鮮戦争の帰還兵ウォルト・コワルスキーだ。偏屈で頑固なコワルスキーが隣人との交流を通じて、自らの先入観や偏見を改めていく。
コワルスキーの隣人<モン族>がメジャーな映画で取りあげられるのは今回が初めて。モン族の18の氏族はラオス、ベトナム、タイなどアジア各地に散在しているが、とりわけラオスのモン族はベトナム戦争後にアメリカへ移住し、大変な苦労を強いられた。「彼らのことは詳しく知らなかった」とイーストウッド。「ベトナム戦争でアメリカ軍に加担し、戦争が終わるとともに避難民として受け入れられた。知っていたことと言えば、そのくらいかな」。「私たちがあの戦争でどんな役割を担ったか。悲しいことに、それを知る人はほとんどいないんです」とモン族のスタッフのポーラ・ヨウは話す。
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