1948年、毛沢東率いる中国共産党の人民解放軍と、蒋介石の国民党軍は、新中国建設の主導権をめぐって激しい内戦を繰り広げていた。
グー・ズーティを連隊長とする人民解放軍中原(ちゅうげん)野戦軍第2師139団3営第9連隊は、華東(かとう)地方での市街戦で、国民党軍を包囲した。しかし偵察に送り込んだ部下が狙い撃ちされ、連隊は混乱に陥る。国民党軍が待ち伏せていたのだ。激しい戦闘の末、かろうじて征圧したものの、連隊は部隊の相談役的存在の指導員をはじめ多くの仲間を失った。激高したグーは捕虜の射殺を命じ、奪った衣服を部下に分け与える。この行為が軍規違反に問われ、グーは警告処分を受ける。
グーと第9連隊は淮河(わいが)の最前線に送られることになった。リウ・ゾーシュイ団長は、第9連隊に旧炭鉱防衛の任務を与え、「旧炭鉱を正午まで守りきれ。集合ラッパを合図に随時撤収」と命じる。これは撤退命令が鳴るまで、最後の一人まで戦い続けることを意味した。グーは戦闘中に失禁して責任を問われた元教師ワン・ジンツンを指導員に指名し、部下とともに進軍する。到着して息つく暇もなく国民党軍の砲撃が始まった。物量で圧倒する国民党軍の猛攻の前に、第9連隊の兵士は次々と命を落としていく。
交戦の合間、大火傷を負ったジアオ小隊長が「集合ラッパを聞いた」と進言するが、爆音で耳をやられたグーは確信が持てない。部下の間でも意見が割れ、「言うとおりにしてくれ、このままでは全滅だ」という絶命間際のジアオの言葉を振り切って、絶望的な突撃を命じる。連隊所属の兵士は、グーを除く47人全員が戦死した。
あの時、撤退のラッパは、鳴っていたのか...。そして戦死ではなく失踪者扱いになっている仲間の名誉は取り戻せるのか...。グー・ズーティの長く険しい第二の人生が始まったー。