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(c)2008「クライマーズ・ハイ」フィルムパートナーズ |
1985年8月12日、終戦記念日を3日後に控え、日本国中が中曽根首相の靖国公式参拝の動向を固唾を呑んで見守る中、群馬県の有力紙・北関東新聞の記者、悠木和雅はひとり、翌朝に迫った谷川岳・衝立岩登頂のための準備を進めていた。悠木は出世争いから一線を画したところに立つ、一匹狼の遊軍記者なのだった。今回の登頂は販売局の同僚で無二の親友、安西耿一郎からの誘いだった。
その夜、新前橋駅で安西と落ち合うべくデスクを後にした悠木の側へ、県警キャップ、佐山達哉がすり寄ってきて耳打ちした。「悠さん、ジャンボが消えたそうです」「...ジャンボが消えた?」 その時、通信社のニュース速報が社内に響き渡った。「東京発大阪行き日航123便が横田基地の北西数十キロの地点でレーダーから姿を消しました。長野・群馬の県境に墜落した模様」「日航123便の乗員・乗客は524人。繰り返します。...」 単独の航空機事故としては世界最大。しかも現場は群馬と長野の県境、北関編集局はにわかに興奮の坩堝と化した。そして、本来遊軍であるはずの悠木が、この未曾有の事故の全権デスクを命じられた。
全権デスクの悠木の壮絶な日々が幕を開けた。頭と心を麻痺させなければ直視できないほどの事故の凄惨さ。疲労と高揚で弛緩と緊張を繰り返す神経。非常事態にあちこち軋む人間模様。
そんな激務の最中、悠木は、ひとり衝立山に挑んだと思っていた安西が、待ち合わせ場所の新前橋駅でクモ膜下出血に倒れて意識不明の重体であることを知らされる。一瞬にして奪い去られた520の命。記事にさえならないひとつの命。新聞は命の重さを問えるのか?
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