「東京国際映画祭コンペティション部門グランプリ、監督賞など4部門受賞。北海道で行われている「ばんえい競馬」の厩舎を舞台に人生の、兄弟の絆の再生を描いたジワジワと染み渡り、様々な想いを抱かせるドラマ」
日本で開催される国際的な映画祭としての「東京国際映画祭」は始まってからもう20年以上の歳月が経っている。最初は2年に1回の開催、それが毎年の開催になり、開催場所も渋谷から六本木へと移り、マーケットも開催されるようになっててきた。映画ファンにとってもこの映画祭のために来日、来場するゲスト、ひと足もふた足も早く観ることが出来る新作は大きな楽しみとなってきているはずだ。昨年(2005)開催されたこの映画祭でコンペティション部門グランプリ、最優秀監督賞、最優秀男優賞、観客賞受賞という圧倒的な評価を獲得した作品が、今回紹介する『雪に願うこと』である。 東京国際映画祭で4部門を受賞した作品は、この『雪に願うこと』が初めてなのだが、注目すべきは審査員によるグランプリと観客によるグランプリ(観客賞)を受賞したということだろう(ただし、観客賞はこの前年から設けられた賞である。その時は『大統領の理髪師』が受賞している)。映画の現場のプロである審査員たちと映画を観る楽しみを知っている観客の気持ちが一致したのだ。この年の審査員委員長を務めたチャン・イーモウはこの作品に対し「満場一致でグランプリは決まりました。審査員全員がこの作品を好きになった。」というコメントを残している。その気持ちは観客もきっと同じだったはずだ。
この作品の舞台となるのは真冬の北海道、帯広。ステンカラーコートにスーツ姿のちょっと疲れた感じの男はこの地で開催されている競馬場でありったけの金を投じた馬券を握り締めている。でも、ありったけの金に天使が微笑むことなどない。そして男は厩舎場へと向かう。そこでは兄と家族が厩舎を経営しているのだ。それは13年ぶりの突然の帰郷であった。 13年ぶりの突然の帰郷には当然、大きな理由がある。東京で会社を興し、大きな成功を手にしていた男(弟)はちょっとしたつまずきから、その会社を存亡の危機に追い込み、半ば逃げ回り、この故郷へとたどり着いたのだ。一方、13年ぶりの弟の突然の帰郷は兄としても様々な込み上げてくる想いを抱かざる得ない。この13年間の間に家族の状況、厩舎の状況も大きく変わってきているのだ。そこには許せない気持ちも介在している。 こうした部分からも分かるだろうが、作品が描くのは人生の挫折からの再生と、家族、人間の葛藤、絆の再確認の物語である。誰もが描こうとするありふれたテーマであるが、ありふれたテーマであるからこそ、描くこと、伝えることが難しいテーマでもある。そこを大仰しくもなく、波乱はあるが坦々とした厩舎の日常の中で描き続けたことが、この作品の素晴らしさだろう。ジワジワと染み渡り、様々なことを考えさせてくれるのだ。 東京国際映画祭で最優秀男優賞を受賞した佐藤浩市は厳しさの裏に最高の優しさを持った厩舎の親方をこれ以上ないほど見事に演じているし、事業に失敗して故郷へと戻った弟役の伊勢谷友介もプライドの高さ、不遜さを徐々に静めていきながら、人間的に成長していく過程を上手く演じている。また、この厩舎に働く者たち、出入りする者たちを演じる役者陣も本当に素晴らしい。厩舎のお母さんとして食事などを賄う女性を演じる小泉今日子、天才的な騎手だった父の影を背負う娘で騎手を演じる吹石一恵、弟の小学校時代の同級生で厩舎で働くちょっと抜けた青年を演じる山本浩司、ベテラン厩務員を演じる でんでん、若い厩務員を演じる出口哲也、岡本竜汰、その他、山崎努、草笛光子、香川照之、津川雅彦、小澤征悦、椎名桔平などもそれぞれが持ち味を十二分に活かしている。監督は日本映画界を代表する映画監督のひとりである根岸吉太郎。
この作品のきっかけは相米慎二監督の遺作となった『風花』の原作者である作家の鳴海章がその映画が完成した直後に『雪に願うこと』の原作となった小説「挽馬」を送ってきたことだった。“挽馬”とは荷車を曳く馬のことで、北海道ではこの“挽馬”にソリを曳かせ、障害を超えていく公営競馬のレース「ばんえい競馬」が人気を集めている。ここで舞台となる競馬、厩舎はもちろん、この「ばんえい競馬」である。相米監督はこの競馬と原作の映画化に凄く興味を示したものの、急逝。周囲の映画化への熱意が冷めぬ中、馬好きの根岸監督がメガフォンを取ることになったという。徹底的なリサーチと寒い中での撮影など、企画の立ち上げから3年以上の月日を経て、この作品は完成している。 この作品はジワジワと染み渡り、様々なことを考えさせてくれると先に書いたが、それがあるのは役者の演技の向こう側に登場人物のそれぞれの人生、葛藤が感じ取れるからだ。そうした部分に触れることで弟の不遜な気持ちは抑えられていき、兄との間に横たわっていた壁も徐々に取り崩されていく。弟が触れる人生は1頭の馬にも託されていく。それは彼があの時にありったけの金を投じた馬であり、彼の人生と同様にもう2度と走ることはないと決定されているような馬だ。その馬はもちろん、走る機会を与えられ、こちらの気持ちも登場人物たちと同様に高鳴っていく。 そして、この作品には北海道の厳しい冬の光景が美しく捉えられている。特に早朝の挽馬の訓練シーン、寒さの中に立ち上る湯気、徐々に明るくなっていく広大な空の美しさには格別の想いが広がってくる。 東京国際映画祭での4冠受賞ということで物凄いものを期待する人もいるかもしれないが、この作品は“普通”の映画らしい映画だ。でもこういうふうにギミックもなしに“普通”の映画を撮ること、それで何かを伝えることは相当に難しい。こういう“普通”の映画はありそうでなかなかない。この作品の素晴らしさはそういった“普通”の誰もが何かを感じ取ることが出来る映画であることなのだ。ぜひ、劇場に足を運んでください。
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