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『夜よ、こんにちは』

配給:
オフィシャルサイト:

この映画の予告編はこちらから


キャスト スタッフ データ
マヤ・サンサ
ルイジ・ロ・カーショ
ロベルト・ヘルリッカ
ピエル・ジョルジョ・ベロッキオ
ジョヴァンニ・カルカーニョ
パオロ・ブリグリア
監督、プロデュース、脚本:
  マルコ・ベロッキオ
プロデュース:
  セルジョ・ペローネ
撮影監督:パスクァーレ・マリ
編集:
  フランチェスカ・カルヴェッリ
美術:マルコ・デンティチ
衣装:セルジョ・バッロ
音楽: リカルド・ジャーニ

第60回ヴェネツィア国際映画祭
  特別個人貢献賞 受賞
第16回
  ヨーロピアン・フィルム・アワード
  最優秀批評家連盟賞 受賞

2003/イタリア/1:1.66/
ドルビーデジタル/1時間45分


イントロダクション
「イタリア中を震撼させた元首相誘拐殺害事件、イタリア映画界の巨匠マルコ・ベロッキオがこの事件に基づき描く、事実と想像が生み出すひとりの人間としての葛藤のドラマ」
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 “巨匠”を英語で表すと“GREAT MASTER”となるのだろうが、ヒット作を多発しながらも映画祭での受賞には縁のない“未冠の巨匠”、その逆のパターン、ほとんど作品を撮ることがない“寡作、幻の巨匠”など“巨匠”には様々なタイプがある。しかもこの“巨匠”は年齢が左右するものでもなく“若き巨匠”まで存在している。見渡してみれば、どこもかしこも“巨匠”だらけだったりするのだ。今回紹介する『夜よ、こんにちは』もイタリア映画界の巨匠と呼ばれる監督が撮った作品である。
  実は“巨匠”と呼ばれているのに日本では作品がほとんど劇場公開されていない監督は多い(というより、作品が公開されるときに“巨匠”となっていてその存在を知ることも多々ある)。その理由は興行的に成り立たないからである。映画祭などでの評価は高いもののエンタテインメント性に欠けるから、売りとなるものがないからという理由で上映が見送られてしまうのだ。この作品の監督であるイタリア映画界を代表する“巨匠”映画監督マルコ・ベロッキオもそうしたひとりだろう。
  マルコ・ベロッキオ監督の作品の中で、日本で劇場公開されたものはジェラール・フィリップ主演による作品が有名な『肉体の悪魔』(1986)、ベアトリス・ダルが主演した『ダル』(1988)、『夜の蝶』(1994)といったところである(デビュー作の『ポケットの中の握り拳』(1965)も80年代になってやっと公開されている)。1960年代から1、2年に1作のペースで作品を監督し続け、ベルリン国際映画祭、ヴェネチア国際映画祭、カンヌ国際映画祭というヨーロッパの三大映画祭でいくつもの作品が受賞、ノミネートし、ロカルノ映画祭などでは“レトロスペクティブ”の名の下に特集上映も行われているのだら、この監督が“巨匠”と呼ばれる所以も分かるだろう(そして作品の内容にエンタテインメント性がないことも想像できるだろう)。今回紹介する作品でも監督は第60回ヴェネツィア国際映画祭において特別個人貢献賞、第16回ヨーロピアン・フィルム・アワードにおいて最優秀批評家連盟賞を受賞している。
  この作品がテーマとするのは1978年のイタリアで起こった元首相の誘拐、殺害事件である。この事件はイタリアの現代史の中では最も衝撃的なもののひとつであり、大きな謎に包まれているもののひとつでもあるという。事件を実行したのは“赤い旅団”と呼ばれた極左組織、日本でいうなら“連合赤軍”を思い出してもらえばいいと思う。今ではその存在は大きく報道されることはなくなったが、ある時代にはこうした極左組織による様々なテロ的行為が世界中のニュースをにぎわせていた。映画の冒頭で1978年の新年を迎えるTV番組の司会者が「今年は誘拐も疑惑もない年にしたいですね」と願うように発言をするのだが、この事件の当時のイタリアはこうした事件に大きく揺れていたのだ。そこには国家としての政治的、経済的な混乱など様々な要因があった。
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  この作品には「なぜ、起こったのか」、「その背景ではどのような交渉が行われていたのか」という事件のインサイド的な部分は出てこない。これはそんなことは分かっているだろうということではなく(映画は世界中で観られることを考えれば、いくら重要な事件であろうがそんなことは重々承知しているはずだ)、「誰に事件の責任があり、誰が背後にいたのかといった事柄には興味がない。私はただ、この残酷な悲劇の中に、悲惨な結末に抗う何かが見出せないかを探りたかっただけだ。」という監督の発言から理由は分かるはずだ。“赤い旅団”のメンバーたちは元首相を監禁すること、それにより、少なくとも自分たちの主張をアピールでき、何かを変えられるかもしれないと考えていた。しかし、監禁した元首相と接しながら、普通の日常生活を送っているうちにそうした確固たる確信が揺らぎ始めてくる者も出てくる。元首相は普通の人間であるし、その人間をどうにかしたところで何の意味があるのだろうかという疑問である。一方、確信が揺るがない者の根底にあるのはイデオロギーである。この作品の主人公である“赤い旅団”のメンバーである女性は小さな部屋に押し込まれた元首相の様子を眺めながら、図書館で司書として働きながら、自分の置かれた状況に揺れ始め、ある行動を起こそうとする。作品の中で印象的なもののひとつにナチス・ドイツと戦ったパルチザンの叔父たち親族と彼女が昼食をするシーンがある。ここで彼女は叔父たちが歌うパルチザンの歌に自分の立場を重ねるように涙をするのだ。彼女とパルチザンの立場は全く逆であるのに彼女は涙するのだ。
  作品は様々な当時のニュース映像、共産主義の映像をフッテージとして取り入れながら、ひとつのアパートに普通に暮らす“赤い旅団”の4人のメンバーと監禁された元首相の様子を坦々と描いていく。そうした坦々とした日常の中で主人公たちの足元は揺れ始め、あまりにも切ないラストへと繋がっていく。事件になじみはないかもしれないが、この作品はテロ、暴力に対する明確なメッセージ、人間に対する希望を監督の声で描いた作品である。派手さはない作品ですが、ぜひ、劇場に脚を運んでください。

ストーリー
「元首相を監禁しているアパートで暮らす“赤い旅団”のメンバーたち、時間が過ぎていくごとに彼らの心は大きく揺れ始めていく」
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 1977年の暮れ、ひとりの女性がフィアンセとアパートの下見に来ていた。彼女の名はキアラ。イタリアを震撼させている極左組織“赤い旅団”のメンバーであり、偽りのフィアンセとこのアパートを借り、ある計画を進めようとしていた。そして翌年の3月に計画は実行される。それはイタリアの元首相であるアルド・モロの誘拐だった。モロは巧妙に設けられたこのアパートの隠し部屋に監禁されることになる。“赤い旅団”が政府との交渉を重ね、ニュースでも大きく取り上げられる中、このアパートの“赤い旅団”のメンバーたちは表面上は普通に日々を過ごし続ける。そうした中、モロに処刑の命令が下され、キアラらの気持ちは大きく揺れ動いていく。
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