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『ヨコハマメリー』

配給:ナインエンタテインメント
オフィシャルサイト:
http://www.yokohamamary.com/
この映画の予告編はこちらから


キャスト スタッフ データ
永登元次郎
五大路子
杉山義法
清水節子
広岡敬一
団鬼六
山崎洋子
大野慶人
監督:中村高寛
プロデューサー、編集:白尾一博
プロデューサー:片岡希
撮影:中澤健介
    山本直史
写真:森日出夫
音楽:Since
    (コモエスタ八重樫+福原マリ)

2005/日本/カラー/スタンダード
/1時間32分


イントロダクション
「横浜という街で白塗り、白い衣装で立ち続けていた年老いた女性“メリーさん”。多くの人により語られる彼女の姿とそこから浮かび上がってくる異国都市 横浜の姿、最後には胸の奥から暖かくなるヒューマン・ドキュメンタリー」
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(C)森日出夫
 以前、年齢的には半まわり程上の知人と飲みながら、東京という街について話をしていた。東京という街が劇的に変わったといわれる“東京オリンピック”、その前の状況を僕たちは文章や映像でしか知らない。でも、それ以降にも変わったことがあり、お互いにとって決定的だったのはあのバブルの爪跡ではなく、都電が消えたことかもしれないということになった。チンチン電車と呼んでいた都電に乗って、当たり前のように移動していたことは本当に小さな頃の記憶として残っている。調べてみると、その当時もすでに多くの路線が廃線になっている。ただ、まだ都心を走る都電は存在していたのだ。それからわずか、1、2年の期間でそれすらも消えてしまう。街は刻々と知らないうちに変化していき、当たり前のようにあった風景が、ある日、忽然と姿を消してしまう。今回紹介する作品『ヨコハマメリー』も横浜の伊勢崎町に当たり前のように存在していたものの物語だ。
 当たり前のように存在していたものと書いているが、このものとは人である。横浜では“メリーさん”という愛称で知られていた白塗りの娼婦として生計を立ててきた老女がこの作品の主人公なのだ。“メリーさん”は伊勢崎町あたりにずっといて、ある日、忽然と姿を消してしまった。作品の冒頭では“メリーさん”が行き来していた伊勢崎町の街並みに女子高生、年配の方など様々な世代が知っている“メリーさん”に関する噂、都市伝説がかぶせられていく。「精神病院に送られた」、「亡くなった」、「田舎に帰った」などその内容は様々であり、どれもが真実味とインチキ臭さに満ちている。その真実に迫ろうとしたドキュメンタリー作品が、この『ヨコハマメリー』なのである。
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(C)森日出夫
  僕自身がこの“メリーさん”のことを知ったのはこの作品にも登場する作家 山崎洋子の「天使はブルースを歌う」というノンフィクションを読んだ時だった。この本を読んだ理由はゴールデン・カップスだったのだが、そこではゴールデン・カップスと共に“メリーさん”にも大きなスポットが当てられていた(この本は横浜の裏面史として素晴らしいです)。うちの連れ合いは横浜の人、他にも横浜関係の知り合いが多かったことから“メリーさん”について尋ねてみると皆が当たり前のように前記のような噂も含めて答えてくれた。横浜では知らない方がおかしいくらいだとも言われた。
  この作品は“メリーさん”をよく知る人への聞き取りを中心に構成されている。横須賀のドブ板通りで進駐軍の高官相手に娼婦をやっていた頃は“皇后陛下”と呼ばれていた“メリーさん”。黒澤明が横浜を舞台に描いた傑作『天国と地獄』にも登場した外人バーのモデルとなった大衆酒場「根岸屋」に立ち続けていた頃は同じ娼婦たちといざこざを起こしていた“メリーさん”。その後、歳を重ねて伊勢崎町の一角に立ち続けていた“メリーさん”。プライドが高く、本物のプロだった“メリーさん”の姿がこの作品からは浮かび上がってくる。
  歳をとってからの“メリーさん”はその存在を異端視されていたが、彼女を暖かく見守っていた人々も多かった。その中心となるのが、永登元次郎という横浜が生み出したシャンソン歌手である。彼は横浜から消える前の“メリーさん”が「お部屋が欲しい」と呟くのを聞き、部屋探しなどに奔走し(住所が不定のため、うまくいかない)、出来る限りの面で彼女に手を差し伸べ続ける。その裏には男娼として身を立てていた自らの人生に“メリーさん”が重なったという部分があった。その他にも、快く着替えの場を提供していたクリーニング屋の店主夫婦、白粉を購入していた化粧品店の主人、彼女が通い続けた美容室の店主など様々な人々が登場してくる。
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(C)森日出夫
  “メリーさん”の足跡を追っていくこの作品から立ち上がってくるのは東京なんかよりも数段も進み、異国情緒に溢れていた横浜という街の姿である。今は駐車場となっている「根岸屋」の様子を頭の中から取り出したように再現するあの当時の遊び人がいる。「太っていて、色が黒く、メガネをかけている」男性(それは金持ちで頭がいいという理由)が好みだったという“メリーさん”に付きまとわれた思い出を作家の団鬼六が語り、舞踏家の大野慶人は“きんきらさん”と呼んでいた“メリーさん”が妻の経営する舶来品を扱っていたドラッグストアによく顔を出し、ショーケースの香水入れを覗いていた様子を優雅な身振りも交えながら語る。そして“メリーさん”に自然と惹きつけられ、写真を撮り、写真集も発表した写真家の森日出夫は「“メリーさん”が街からいなくなり、風景が変わった」と語る。“メリーさん”が横浜の街角から忽然と消えたのは1995年、それ以前から街は大きく変わり始めていたが、最後の個人の抵抗のような異国情緒はここで完全になくなってしまったのかもしれない(そして、この作品に登場した永登元次郎も2004年に還らぬ人となっている)。物語のラストは永登元次郎が“メリーさん”を訪ねて行くシーンで終わる。口から出る言葉はないが、そこには溢れ出そうにも受け止められないほどの気持ちが満ちている。作品の中で流れるラジオ番組でパーソナリティーのミッキー安川は「横浜で有名なのは“メリーさん”と永登元次郎だ」と語る。それが意味することはこの作品を観ればきっと分かり、そこから歴史が生んだ横浜という街の異質さも感じ取ることが出来るはずだ。素晴らしい作品ですので、ぜひ、劇場に脚を運んでください。

ストーリー
「横浜の町に立ち続けた“メリーさん”。彼女と横浜についての多くの証言から浮かび上がるもの」
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(C)森日出夫
 白粉で顔を白く塗り、横浜の町に立ち続けた“メリーさん”と呼ばれた年老いた女性。彼女は若い頃から娼婦だったという。人々からは奇異な目で見られていた彼女がその姿を忽然と消したのは1995年だった。その後、彼女がどうなったのかということに関しては様々な噂が生まれ続けている。この作品はそんな彼女を知る様々な方々の証言から織り成されていく“メリーさん”と呼ばれた人物の真実である。そして、そこから浮かび上がってくるのはどこよりも進み、異国情緒に溢れていた街 横浜の姿であった。
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