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『トリノ、24時からの恋人たち』

配給:クレスト・インターナショナル
オフィシャルサイト:
http://www.crest-inter.co.jp/torino24/
 


キャスト スタッフ データ
ジョルジョ・パゾッティ
フランチェスカ・イナウディ
ファビオ・トロイアーノ
フランチェスカ・ピコッツァ
シルビオ・オルランド
ピエトロ・エアンディ
アンドレア・ロメロ
ジャンピエロ・ペローネ
監督、製作、脚本:
  ダヴィデ・フェラーリオ
撮影監督:ダンテ・チェッキン
編集:クラウディオ・コルミオ
美術監督:
  フランチェスカ・ボッカ
衣装:パオラ・ロンコ
音楽:バンダ・イオニカ
    ダニエレ・セーペ
    ファビオ・バロヴェーロ

2004年/イタリア/カラー/35mm/
ビスタサイズ/ドルビーデジタル/
1時間33分


イントロダクション
「キートン、トリュフォーなどの映画、そして舞台となるトリノの街への限りないオマージュに満ちた、様々な楽しみ方が出来る、男ふたりと女ひとりのコミカルでロマンチックなラブ・ストーリー」
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  ある人物やある作品に対してオマージュを捧げた作品というものが数多く存在する。ストレートにその作品や役者を作品の中に登場させたり、トリビュートなど言葉として掲示したり、その作品と似たような状況を再現したりなど、その方法は多種多様である。映画の場合、このオマージュは映画作品や監督、俳優に捧げられることが多い。そうしたオマージュは自分が観てきた映画への限りない愛情表現でもある。今回紹介する『トリノ、24時からの恋人たち』もそうした映画へのオマージュに満ちた作品である。
  映画好きにとって、その映画の中に他の映画からの影響を感じ取ることは大きな楽しみだろう。また、それが全く分からなくても「こうした映画の影響を受けている」などという監督本人の発言や解説を読むことはすごく楽しいことだと思う。そういう風に提示されたものを頼りに自分の映画的な視野を広げてきた方も多いはずだ(私もそうである)。映画は出来れば映画館のスクリーンで集中して観たいけれども、こういったときにビデオ、DVDのレンタルは本当に役に立つ。それらの作品を借り、何度も見直すことが出来るのだ。きっと、この作品を観たら、そういう気分になるはずだ。
  この『トリノ、24時からの恋人たち』のエンディング・ロールにはふたりの人物へのトリビュートが捧げられている。ひとりはバスター・キートンである。バスター・キートンは映画がサイレントだった時代にチャップリンと並び称された喜劇王である(ちなみに当時の三大喜劇王はこのふたりにロイドを加えた3人である)。このキートンの作品は作品中に数回導入されている。もうひとりはマリア・アドレアーナ・ブローロという人物である。この人物の名を知る人はマニアックなほどの映画通だろう(当然、私は知らなかった)。彼女はこの作品の重要な舞台となるイタリアの都市トリノのシンボルであるモーレ・アントネッリアーナの中にあるトリノ国立映画博物館を創設した映画史家である。キートンが作り上げた作品が作品中に導入されるのと同様、彼女の作り上げた映画の宝箱はこの作品の主役でもあるのだ。
  その他にも様々なシーンに映画への愛すべきオマージュを感じ取ることが出来る。例えば、この作品はフィルムが回る音と感光するフィルムで始まる。映画の父であるリュミエール兄弟のあの史上初の映画が引用される。そして当然だが、映画博物館にはモンロー、トリュフォーの作品など様々なポートレイトや莫大な量のフィルムがある。
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  主人公のひとりはこの映画博物館で夜警の仕事をしている。夜警の仕事の最中に彼はキートンの作品などを大きなスクリーンでひとり観て過ごしたり、自分が手回しのオールドスタイルのカメラで撮ったフィルムを編集したりする。普段も無口で友人も少ない彼は映画の中に埋没したような日々を送っているのだ。そんな彼は夜警の前に必ずあるファーストフードの店に立ち寄り、ポテトのダブルを持ち帰りしていく。そこで夜、働いている女性がふたり目の主人公である。彼女は昼はサラ金のビラ配りをしているが、先の見えない現状に苛立ちを感じ続けている。彼女は3人目の主人公である彼氏と朝まで一緒にベッドにいたいという願いすら叶えてもらえない。それは彼女の彼氏は自動車泥棒で生計を立てているからだ。夜中から明け方にかけてが彼の稼ぎ時なのだ。ある夜、いつものように彼女からポテトを買い、映画博物館へと向かう男性にいつもとは違うことが起きる。あのファーストフードの彼女が映画博物館へと走りこんできたのだ。それは彼女がマネージャーとの繰り返しのような小競り合いに切れ、警察に追われる立場となり、たまたま映画博物館へと逃げ込んだということだった。そしてその瞬間から、男ふたりと女ひとりの恋愛関係が生じ始めていく。
  男ふたりと女ひとりの恋愛関係という部分からトリュフォーの諸作や『冒険者たち』などを思い出す方がいると思う。こうした部分にもオマージュは潜んでいるのだ。
  ただ、オマージュにばかりこだわっていても仕方ないだろう。そうしたオマージュを抜きにしてもこの作品は様々な魅力に満ちている。そのひとつはタイトルにもあるトリノという街である。映画の冒頭ではナレーションによる「最近の客は登場人物ばかりを気にするが、場所が重要である」という宣言がなされる。映画博物館があるモーレ・アントネッリアーナ、昔のフィルムに焼き付けられた街並など、本当にここにはトリノという街のため息が出るような美しさが映し出されている(オマージュ的にはトリノはイタリア映画の発祥の地だという)。女性にとっては主人公の女性のファッションも魅力的だろう。そして何よりも物語が面白い。バスター・キートンに捧げたことからも分かるようにロマンチック的、コメディ的な要素が満載であるし、その展開の転び方はフランスのヌーヴェルヴァーグの作品のような最高のものを持っている。誰が観ても映画への愛情が感じられるものとなっているが、そうした部分が分からなくても十二分に楽しむことの出来る、余り使いたくないがオシャレな作品なのである。
  監督はこの作品が日本では初めての劇場公開作品となるダヴィデ・フェラーリオ。映画の批評家、ライターからジョン・セイルズ、ヴィム・ヴェンダースなど俗にアート系と称される作品の配給会社を始め、映画監督となったという彼自身の経歴が映画への限りない愛情に満ちている。しかもそれはノワールなどのハリウッド映画、黒澤などの日本映画などを愛し、それを評価してきたヌーヴェルヴァーグの監督たちの姿と重なってくる気がする。そうした部分を考えれば、こうした作品が生まれてきたのは必然なのだろう。そして、その必然をスクリーンで味わうことが出来るということは本当に幸せである。
  HDカメラでの撮影による独特の色気と広角レンズの多用によるちょっとゆがんだ感覚を持った映像、音楽の素晴らしさ(アルチュールHまで登場)など他にも語りたいことは多い。きっと、観る人によってそうした様々な切り口が出てくる作品だろう。イタリアでは大ヒットを記録したというが、それはこの作品がいかに魅力的であるかを証明していると思う。いくらなんでもこの作品を観た方々が“シネフィル”ばかりであったわけではない。それは作品の物語が面白かったからであり、映画への愛情を映画から感じられたからだろう。ちなみに全編に流れるナレーションは映画の神様の声かななどとまで考えてしまった。そう考えると納得が行くような気がするのだ。映画が好きなら、ぜひ、劇場に脚を運んでください。

ストーリー
「自動車泥棒を生業としている男の彼女は偶然から映画そのものが人生のような男とも恋に落ちる」
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  夜の街をバイクで走る男がいる。彼の名はアンジェロ。自動車泥棒を生業としている女がほっとかないタイプの男だ。そんな彼と夜をずっと過ごせないことを寂しがっているのがアマンダという女性だ。彼女は昼はサラ金のチラシ配りとして、夜はファースト・フードの店で働いている。そのファーストフードの店に毎晩現れ、ポテトのダブルを持ち帰りしていくのが、マルティーノという男。彼はトリノの象徴であるモーレ・アントネッリアーナの中にある映画博物館の夜警として働き、夜はそこで自分のためだけに映画を楽しみ、昼は古い手回しカメラでトリノの街を撮影し続けている。モーレ・アントネッリアーナの空き部屋で暮らす彼は人生そのものが映画に埋没したような生活を送っている。
  ある夜、アマンダはファーストフードの店のマネージャーの度重なる嫌味にきれ、彼の足にポテトを揚げる油をぶちまいてしまう。警察に連絡され、その場を逃げ出した彼女が飛び込んだのが、マルティーノの働く、映画博物館だった。警察に追われ続ける彼女はそこで暮らしながら、アンジェロという恋人がいるにもかかわらず、マルティーノとも恋に落ちていく。
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