「高校時代の想い、それから17年後の想い、デビュー作『tokyo.sora』で大きな注目を集めた石川寛監督が描く、大人のための甘く、じれったく、苦い味わいの“Boy
meets Girl”の物語」
東京という都会、その空の下で暮らす若い女性たちの生き方を板谷由夏、井川遥、仲村綾乃
、高木郁乃、孫正華、本上まなみという6人の若手女優により描いた劇場デビュー作『tokyo.sora』で大きな注目を集めた映画監督
石川寛。彼の5年ぶりの第二作目となる劇場長編監督作品が公開される。それが今回紹介する『好きだ、』である。
デビュー作である『tokyo.sora』は石川監督がずっと描きたいと思っていながらも脚本という形にまとめることが出来ず、脚本がないまま撮影をしていった作品である。そのためか、物語は明確、ドラマチックではないのだが、逆に身近な、自然な雰囲気が漂い、そこが観る側を惹きつけるものとなっている。タイトルの『tokyo.sora』は東京の空が彼女たちを結びつけるという意味合いで、映像と共に印象的に使用されている。
今回紹介する作品『好きだ、』は大人のための甘く、じれったく、苦い味わいの“Boy
meets Girl”の物語である(別に少年や少女が観てもいいのだが)。タイトルにもあるようにこの作品が描くのは“好きだ”ときちんと言えるまでの物語である。その場でそれが言える勇気、確信があるなら、それは少年少女も楽しめる“Boy
meets Girl”の物語になるのだが、この作品にはそこに“長すぎる時間”という溝が横たわっているのだ。その時間は17年。高校生だったふたりはすでに中年と呼ばれる年齢へと足を踏み入れているわけだ。
石川監督はこの作品について、30代のある日、鏡の中にうつった自分の姿が10代の頃の姿と結びつかなかったこと、30代のある時期にどうしても言えなかった「好きだ」という一言があったこと(それは実は10代でも言えなかったことだった)をきっかけに「変わってしまうことと、どうしても変わらないこと。このことが自分の中でくすぶりつづけて。このことと向き合わないと、そこから先にすすめないような気がして。このことを、どうにかして肯定したいという思いになっていき。その思いをたよりに、この映画をつくりはじめたのです。」と語っている(引用の句読点などは原文ママ)。この監督自身の発言から、大人のための“Boy
meets Girl”の物語であることは伝わってくると思う(逆に若い子たちには躊躇せずに「言っとけよ!」ということでもある)。そして、こういった想いを抱いている方は多いはずだ。
作品は高校時代とそれから17年後の社会人時代というふたつのパートに分かれて描かれている。当然出てくる年齢的な問題から、高校時代(17歳)のパートは宮崎あおいと瑛太、17年後(34歳)のパートは西島秀俊と永作博美が演じている。合間の長い時間をスパッと抜いていることもあるのだろうが、この変化には全く違和感がなく、似ているなと感じてしまうほどだ(無理してふたりで演じたら映画自体が壊れていただろう)。物語の舞台は高校時代は自然が豊かな田舎、17年後は自然を感じられない東京であり、高校時代は宮崎あおい、17年後は西島秀俊の立場で進んでいく。それは本当に些細な、繊細なものであり、監督の発言からすれば、あの時に言えなかったことにけりをつける、ある意味で身勝手なものでもある。
作品のキーとなるものひとつは空だろう。先に書いたデビュー作でもそうだったが、この作品にも空の情景が何度となく挿入されていく。それは主人公たちの心象でもあるのだが、高校時代の空が美しく澄み渡り、前途を感じさせるのに対し、17年後の東京の空は主人公が17年前の希望であった音楽の仕事に就いたにもかかわらず、先行きが停滞したかのようにどんよりとしている。このどんよりさは彼女との偶然の再会から変わっていくのだが、その後には「え!」というべき展開もある。
もうひとつ、この作品は空の風景同様に、隙間が語る物語となっている。特に高校時代はじれったい位の隙間が続く。その時にスムーズではなかったから17年後が成立するのだが、その17年後もじれったい位の隙間が存在している。17年後の男はあの頃の埋められなかったもの、残してきたものを埋めるようにちょっと饒舌でもあるが、その裏側にはあの隙間があり、この隙間が立ち現れてくる。でも、この隙間がふたりのほとんどを語るのだ。合間の抜けた時間ではふたりは会っていないという設定もこうしたリアリティを生み出している。
CFの第一線で活躍してきた監督らしく美しい映像で綴られていくこの物語は、現実としてはありそうで、ないようなファンタジーの色合いも感じられるものとなっている。でも、この物語のように実は相手を相当に傷つけていた、置き忘れてしまった苦い想いを抱えている人は多いと思う。笑い話にでもなればいいのだが、それにも至らない抱えたまま、どこかに置き去りにしようとした気持ち、この作品を観ながら、私の中にはそれがリアルに甦ってきて、舌打ちや独り言を呟きたくなったしまった(それをこの作品のように取戻すこともきっとないだろう)。そうした状況が生じたのは間違いなく、監督自身が想いを込めたこの作品の持つ力なんだろう。
作品は2005年ニュー・モントリオール国際映画祭で最優秀監督賞を受賞している。クロード・ルルーシュ監督から「グランプリと同等に重要な賞。素晴らしい才能を発見した。」と絶賛されたのだが、そのルルーシュ監督の『男と女』の感覚に似たものがあると思う。どちらもある程度の年齢を重ねるとぐっと入り込んでくる作品だ。『好きだ』ではなく『好きだ、』というタイトルの句読点のあとの隙間がそこをうまく語っている。30代以降の大人なら、どこかで共感(反発)を感じるであろう“Boy
meets Girl”の物語。ぜひ、劇場に脚を運んでください。 |