「SF界の巨匠レイ・ブラッドベリによるタイム・トラベルの古典的小説を原案として作り上げたモンスター、水害、巨大植物などが登場するいろんな意味で面白い超B級SFパニック・アクション作品」
昨年から今年(2005〜2006)にかけての冬は本当に寒い。アパートの近くの公園の池では氷が張り、本来ならもっと北に行くはずの白鳥がやってくるなどというちょっと信じがたいことにまでなっている。日本海側を中心とした記録的な大雪が多数の死傷者や流通などの社会的な混乱をもたらしていること、こうした異常気象と捉えるべき状況は日本だけでなく、世界中で観測されていることは当然、ご存知のはずだ。人間が地球で生活していくことで蓄積された結果が、こうした事態へと繋がっているのも理解しているだろう。例えば、あの丘を宅地にすることが、何世紀も経って想像すら出来ない大きな変化を生み出すこともありえるはずだ。今回紹介する『サウンド・オブ・サンダー』はそういった部分が描かれるSFパニック・アクションである。
物語の舞台となるのは2055年のシカゴ。ここにあるタイム・サファリ社はタイム・トラベルで恐竜狩りを体験できるというアトラクションにより、急激な成長を遂げていた。高額料金にもかかわらず、すでに数年後まで予約待ちのこのアトラクションをコントロールする男は絶滅してしまった地球上の野生動物を再生するのを夢としている科学者。会社のボスは金儲けにしか興味のない男だ。ある日、彼らの所にひとりの女がタイム・トラベルの危険性を訴え、飛び込んでくる。実は彼女はこのプロジェクトの基幹となるタイムマシーンを開発した科学者だった。男の科学者は完全にシュミレートとされているので危険性はないと訴えるが、数日後、女性科学者の危惧していた事態が襲い掛かかり始める。
タイム・トラベルに際しては絶対に守らなければならない原則がある。“現代のものを過去に残さない。過去のものを現代に持ってこない。そして過去を変えない。”ということである。過去へのタイム・トラベルといっても数時間の話なら、まだその変化は些細なものかもしれない。でも、ここでのタイム・トリップは恐竜のいた時代、6500万年前である。そこに残した僅かな痕跡が生態系に徐々に変化を及ぼし、それが現代の地球にとっては想像も付かないような状況へと繋がることもありえるのだ。正にカオス理論のバタフライ効果なのだが、この作品ではそうした状況が起こってしまうのだ。
この『サウンド・オブ・サンダー』の原作となったのはSF界の巨匠レイ・ブラッドベリの短編小説「いかづちの音」(「雷のような音」)。映画はタイム・トラベルものの古典ともいうべき、この短編小説をそのまま映画化したのではなく、その基本的な設定を借り、より派手なパニック巨編に仕上げた感が強く(ま、ハリウッドらしいのだが)、その辺りは原作のファンからすれば、賛否両論があると思われる(でも、原作を忠実に映画化するのも時代的にちょっと無理があるだろう)。
物語でよく出来ているなと思うのは、あることを原因にして過去が変わることにより、2055年のシカゴや世界中に時間の波が押し寄せてくるというところだ。時間の波が何波にも分かれて押し寄せてくるごとに地球上の生物、環境にはおびただしい変化が起こってくる。これは最終的には人間も大きく変化させてしまうのだ。この時間の波という発想と映像での描き方は面白い。また、その変化の原因が金儲けにしか興味のない、自己中心的な社長などによる怠慢が原因というのもちょっと今の社会を風刺、揶揄している部分があり、面白い。でも、この作品の後半はそういった面白い要素を活かしきれずに完全なるモンスター・パニック、サバイバル・パニックへとなってしまっている。これはこれでB級的なノリの面白さもあり、楽しめる方も多いと思う。ただ、一直線にそこに向かってしまったことはちょっと残念だと感じざる得ない。登場人物のバッくグラウンドや物語をうまく展開するれば、より面白くなったと感じるのだが(それにはもっと長尺な時間も必要だったろう)。
ただ、こんなことを言ってしまったら元も子もないかもしれないが、ものすごく予算をかけたA級の超大作ではなく、B級の超大作と考えれば、この作品はありなんだと思う。モンスターは出てくるは、水害に襲われるは、都市は巨大な植物に覆われていくは、その植物は人間を襲い始めるはというてんこ盛りの展開、超人的なエドワード・バーンズ、腹黒いベン・キングズレーという役者陣、シカゴの街並み、見たことのないクリーチャーなど映像的にも面白いと思う。多大な期待をしなければ、いろんな部分が楽しめる作品であることは間違いないだろう。でかい画面、迫力のある音響の劇場でぜひ、この作品を楽しんでください。 |