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『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』

配給:ギャガ・コミュニケーションズ
オフィシャルサイト:
http://c.gyao.jp/movie/proofofmylife/
この映画の予告編はこちらから


キャスト スタッフ データ
グウィネス・パルトロウ
アンソニー・ホプキンス
ジェイク・ギレンホール
ホープ・デイヴィス
ゲイリー・ハウストン
監督:ジョン・マッデン
製作:ジョン・ハート
    ロバート・ケッセル
    アリソン・オーウェン
    ジェフ・シャープ
原作、脚本:デヴィッド・オーバーン
共同脚本:レベッカ・ミラー
撮影:アルウィン・カックラー
編集:ミック・オーズリー
美術:アリス・ノーミントン
衣装:ジル・テイラー
音楽:ステファン・ワーベック

2005/アメリカ/カラー/シネスコ/
オルビーデジタル/1時間43分


イントロダクション
「『恋に落ちたシェイクスピア』でアカデミー賞を独占したジョン・マッデン監督と主演のグウィネス・パルトロウが再びタッグを組み、ピューリッツア賞、トニー賞などを受賞した人生の証明と再生をテーマとした傑作舞台を映画化。」
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 年末あたりから映画ファンの話題に上り始めるのがアカデミー賞の行方である。金と宣伝合戦に明け暮れた賞なんて、という批判もあるが、映画の売りとしてもこれ以上の効果を発揮する賞は存在しないのも事実。だから、この時期に公開される話題作には“アカデミー賞最有力!”という文字が躍り始める。今回紹介する『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』も2006年度“アカデミー賞最有力!”とされている作品のひとつである。
 『プルー・フ・オブ・マイ・ライフ』は『恋に落ちたシェイクスピア』で第71回(1998年)アカミー賞の作品賞など7部門を受賞したジョン・マッデン監督と主演のグウィネス・パルトロウが再び手を組んだことでも大きな話題となっている作品である(ここも賞への呼び水となっている)。作品はアメリカ国内で高い評価を獲得しており、ゴールデン・グローブ賞の主演女優部門にグウィネス・パルトロウがノミネートされていることなどから、何らかの形でアカデミー賞にも加わってくるはずだ。
  さて、この作品はピューリッツア賞、トニー賞をはじめとする数々の賞を受賞し、欧米で大ヒットした舞台(「Proof」)を映画化したものである。日本でもこの舞台は「プルーフ/証明」として、寺島しのぶの出演などにより上演されていたので御覧になった方もいるのではないかと思う。私自身は舞台の存在すら知らなかったのだが、作品自体は舞台の色合いを崩さずに、映画ならではの展開、手法を取り入れて制作されているなと感じた。
  物語の主人公は長い間、精神を病んでいた高名な数学者の父親を亡くした娘である。父が亡くなった家には彼の教え子の数学者が父の書き残した膨大なノートに何か新しい発見はないかと、ニューヨークでアナリストとして働く姉が葬儀と家などの整理のためにやって来ている。自分ひとりで長い期間、周囲から顧みられなかった父親を看護し続けていた娘は自分の感情を爆発させるなど精神的に不安定な状態にあるのだが、そうした中、ノートからひとつの重要な公式が発見される。博士の残した偉大な発見だと喜ぶ教え子に対し、娘はそれは自分が証明したものだと宣言する。
  数学、素晴らしい数式の発見がキーとなる作品なのだが、それがいかに素晴らしいものなのかということは観る側からは分からない。ここでこの素晴らしい数式はあくまで作品の大きなダシとして使用されているだけなのだ。原題は日本での舞台上演と同様に『Proof』というのだが、何を“証明”するのかがこの作品の本当のキーとなっている。それは彼女が数式を導いたということの証明であり、その結果は邦題にあるように“自分の人生”の証明にも繋がっていく。“自分の人生”を証明するとなるとストレートな感動を期待する向きも多いと思うのだが、この作品はそのようにはなっていない。物語は非常に単純なのだが、見終わってから考えてしまうような、余韻を感じていく作品となっているのだ。
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  娘は27歳の誕生日に祝う友達もなく、頭の中で父親との愚痴の祝いの席を想像している。それ位、外との交流もなく、父の看病に徹してきたのだった。それはファーザー・コンプレックス的と捉えてもいいほどである。そんな彼女は父親に大きな影響を受け、数学者の道を目指し、独創的な考えを持って、大学へと通っていた。そこの部分を途絶えさせたのも父親の病気だった。看病の間、アナリストとして活躍する姉は金銭的援助のみで家に顔を出すこともなかった。それは父を慕い、持ち上げていた人物も同じだった。誰もが父親を煙たがったのだ。娘はずっとそういった思いに駆られ、それが葬儀の席、姉との会話などで爆発する。それはちょっとした神経過敏の躁鬱の状態であるのだが、そのことが彼女に対する信頼を損失していく。足もとに唯一あった父親という土台が崩れ落ち、彼女自身も崩れ落ちそうになっているのがこの作品を通じての主人公の心理状態である。それをなんとかするために大きなキーとなるのが自分が導き出したというあの数学の証明なのだ。父という存在に近づくため、自分の人生を立て直すためにはそこしかなかった。その証明が自分の“人生の証明”に繋がっていくのだ。逆に数学は明確に証明できるが、人生はそれ程明確ではないということもこの作品からは感じ取れる。映画を観終わってからの余韻はそういう部分にも繋がっていくのだ。
  舞台の持つ色合い自体を大きく崩さなかった理由はマッデン監督自身がグウィネス主演でこの舞台を演出していたこと(もちろん、それが映画化の契機になっている)、脚本を舞台の戯曲(原作)のデヴィッド・オーバーンが手掛けていることが大きい。そこにあったのは舞台の色をいかに映画という世界に持ち込むかということだけだったはずだ。娘の回想を中心にその場その場で時間軸を入れ替えていくという映画的な展開、手法を十二分に活かしながら進んでいくこの作品は舞台の緊張感、物語の持つ深さを生み出すために、舞台もそうであっただろう最高の演技を見せる主演のグウィネス・パルトロウ(映画の役柄と同じく、撮影直前に実の父を亡くしたという)、狂気の眼をした父親を演じるアンソニー・ホプキンス、実務的な嫌な姉を演じるホープ・デイヴィス、実直だけどちょっと頭が固い数学者を演じるジェイク・ギレンホールという素晴らしい役者を揃えている。作品の最高の見所はこの役者陣の生み出すドラマである。物語自体に大きな動きがないため、観終わってからの反応も相当に割れるはずだが、その余韻を気に入れば、何度となく味わいたくなる作品になるはずだ。
  “アカデミー賞最有力!”という文字はこの作品では主演のグウィネスだけのものかもしれないが、そういったコピーに踊らされることなく、役者の素晴らしさと物語が生み出す余韻を味わってもらえればと思う。ぜひ、劇場に脚を運んでください。

ストーリー
「博士の残した膨大なノートから見つかった素晴らしい発見。しかし、娘はそれは私の証明したものだと主張する」
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 キャサリンはひとりシャンパンの栓を抜き、27歳の誕生日を祝っている。頭の中では1週間前に亡くなった父との戯言のような27歳の誕生日を巡る会話が渦巻いていた。著名な数学博士であった父のロバートは10年以上も精神のバランスを崩し続けていた。キャサリンはそんな父の面倒を見るために大学での数学の勉強をやめ、家へと戻ってきていたのだった。今、この家では父の残した膨大なノートから偉大な発見をみつけようと父の教え子の数学者ハルが奮闘していた。日が変わり、父の葬儀に出席するため、NYでアナリストとして働く姉のクレアが戻ってきた。しかし、キャサリンは姉に対して何度も感情を爆発させる。その爆発は葬儀の場でも続く。数日後、ハルはノートから博士の偉大な発見を見つける。しかし、その発見に対し、キャサリンは私が証明したものだと主張する。
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