「2005年のカンヌ国際映画祭カメラドール(新人賞)の受賞をはじめ、各地の映画祭で新人監督賞を受賞した要注目のアーティスト
ミランダ・ジュライが描く、郊外の小さな街に暮らす一風変わった人々のファニーで心暖まる物語」
写真家、作家、画家など“アート”という分野から映画の監督へと入ってくる人々は多いし、その逆のパターンも多々ある。結局、“表現者”という部分からすれば、どちらも目的に合った手段を取り、自分の表現したいものを生み出すという点で大差はないのだ。考えてみれば、映画も20世紀が生み出した最高の“アート”なのである(実際に美術館が所蔵品としているフィルムもある。“アート”という観点から見れば、映画監督への登竜門となりつつあるミュージック・ビデオはその作家性をフルに発揮させる場ともなっおり、これも美術館が所蔵品とし始めている)。今回紹介する『君とボクの虹色の世界』は映像、パフォーマンス、作家など様々な分野で縦横無尽に活躍してきたアーティスト
ミランダ・ジュライの長編映画デビュー作である。
この作品は2005年のカンヌ国際映画祭においてカメラドール(新人賞)の受賞をはじめ、サンフランシスコ国際映画祭新人監督賞など各地の映画祭でのきなみ新人監督を受賞している。また、サンダンス国際映画祭ではこの作品のために審査員特別賞が急遽設けられたという。2005年の映画界の“新たな才能”を求める期待の多くはこのミランダ・ジュライ監督に集中したといっても過言ではないのだ。アーティストの作る映画なんて気難しくて、風変わりなんだろうと敬遠したがる向きもあるかもしれない。気難しくはないが、確かに風変わり、オリジナルな味わいがこの作品には満ちている。でも、その風変わりさは普通の延長にあるような風変わりさであるので、多くの人にも受け入れられるはずだ。
そうした作品の風変わりさは物語のキャラクターに集約されている。監督であるミランダ・ジュライ自身が演じる主人公は高齢者タクシーで生計を立てているアーティスト志望の女性、その常連客の老人は70年という時を経て遂に巡り会った愛する人を彼女のタクシーで訪ね続けている。主人公はふたりにとって相談し、相談される相手でもある。この主人公が偶然、ショッピングモールの靴売り場で巡り会う店員は妻との離婚という損失感を抱えている。彼の息子である小学生の兄とその弟はパソコンのチャットに夢中。そのチャットはもちろんちょっとエロさをもったもの。エロさといえば、彼の同僚の店員は偶然出会った女子高生の2人組相手に家の窓を使ってのエロでへんてこな伝言ゲーム。しかも、その伝言ゲームに好奇心一杯の女子高生は応えていく。主人公が作品を送り続けるキューレターは不遜だし、店員の長男のクラスメートのお隣さんの女の子は新聞のチラシを切り抜き、“ニュー・スタンダード”となるべき家庭用品をある目的のために検討し、コレクションし続けている。見た目はいたって普通なのだが、誰もが実はちょっと変わった、あまり害のないような趣味や性格を抱えた登場人物たちは不思議な縁で交わっていくのだ。
実はこの登場人物たち、性格や趣味がちょっと変わっているかもしれないが、誰もが“愛”を求めている。その“愛”を成就しているのは70年も奔放な恋愛経験を重ねてきて本当の“愛”をみつけた老人だけだ。それ以外の人物たちは限りなく不器用だ。妻と別れることが決まった靴売り場の男は妻に向けてなのか、子供に向けてなのかの”愛”の確認のためなのか、思い立ったように手にアルコールを振りまき、火をつけて火傷してしまう。靴売り場で彼に出会い、その仕草に惚れたらしい主人公はストーカーのように彼の職場へと現れ、彼の車に勝手に乗り込んだりする。彼の同僚の店員はロリコン趣味があり、それが思わぬ形でうまくいきそうになる。それになぜか応える女子高生ふたり組、パソコンのチャットに夢中の男の息子たちは“愛”以上にセックスに興味津々である。この女子高生の行動とチャットのやり取りは相当に珍妙で可笑しい。
ちょっと風変わりなキャラクターたちが“愛”を求めていくこの作品は「クスクス」となってしまうオフ・ビート感覚、のんびりとした陽だまりのような暖かみを生み出していく。例えば、アーティスト志望の主人公が取り組むビデオ・アートはメランコリック、靴売り場の男と子供たちの家族が何気なく散歩するシーンは美しく、主人公が小さな通りを人生に見立てて惚れちゃった男と歩くシーンには胸がキュンとなってしまう。“愛”を求めながらも実は違う場所に違う“愛”が立ち上ってきたりしているのだ。それとアーティストとして活躍している監督だけあって、美術界への皮肉は相当に効いている。ピンクを基調にしたアーティストらしいセット、ポップな衣装も見所のひとつだろう(主人公の部屋に飾ってある絵が素晴らしいし、スニーカーに書き込む絵もキュート)。
この作品の原題は『ME AND YOU EVERYONE WE KNOW』という(すごく響きがいい)。当たり前だが、日本語のタイトルよりもこちらの原題の方が物語にはしっくりとくる(これをピッタリとした日本語タイトルにするのは簡単で難しいだろうが)。この映画の世界にはファンタジックな奇跡はないけれども、一人ひとりが持っている不器用だけどファンタジックな魅力が奇蹟を生み出していく。作品のエンディングはそうした部分を見事に表現している。監督のミランダ・ジュライはこの作品について「感じていても言葉で表せないことは、たくさんあります。だから、精神的なもの、感覚的なものを大切にしたかったし、何とかそれを表現したかったのです。」と語っている。不器用なキャラクターたちの行動、そのシーンから湧き上がってくるものは正にそういった世界だ。そして、そのシーン、キャラクターの行動の一つひとつがこの作品を愛すべきもの、印象に残るものへと変えていく。なんてことはないようだけど、原題がぴったりの小さな郊外のありえないようでありそうな世界がここには存在している。ミランダ・ジュライは今後も要注目であることは間違いない(といっても本人はあまり映画にのめりこむ気はなそうなアーティストなのだが)。ぜひ、劇場に脚を運んでください。 |