「「ナニワ金融道」の青木雄二原作による河川敷に暮らす人々の日々とその人生を描いた短編漫画を池畑慎之介、矢部太郎という異色キャストで映像化した生きていくことにちょっと前向きになれる小品」
漫画史上に残る傑作である「ナニワ金融道」を生み出し、政治、経済、国家のあり方への歯に衣着せぬ発言、著作で多くのファンを抱えていた青木雄二。彼が急逝してから、もう2年以上の月日が流れているが、その作品は今でも多くの人に読まれ、TVドラマなど映像化も続いている。今回紹介する『晴れたらポップなボクの生活』もそうした作品のひとつである。
この作品のオリジナルとなった青木雄二の作品は「淀川河川敷」という読みきりの短編漫画(「青木雄二漫画短編集」所有)である。作品自体は漫画をそのままなぞるのではなく、それを原案とすることで、よりオリジナルな物語を生み出している。この漫画の映画化がスタートしたのは青木雄二がまだ存命中であった3年程前、途中には制作自体が頓挫するかもしれない状況もあったというが、無事に完成。映画化企画のスタート時点から、青木雄二もその完成を楽しみにしていたということだから、きっとあちら側で喜んでいるだろう。
物語の主人公は、東京のとある河川敷でホームレス生活をしている20代の若者とそこで長年暮らしながらも周囲と全く交流のなかった中年男だ。ある日、その中年男が突然、この河川敷からおさらばすると動き始める。男に興味を持った20代の男はカメラでもある携帯電話を片手に男と一緒に行動し始めていく。
周囲とも交流のなかった中年男が突然動き始めた理由、そこから見えてくる彼が過ごしてきた人生、そうした部分を見て、感じていくことによって若者の心が少しずつ変化し、豊かになっていく様子がこの作品には描かれている。男は目的を持って河川敷から上野へと徒歩で歩き出す。それはとてつもない距離であるが、彼らはお金がない代わりに時間や約束に縛られない自由人であるホームレスだから気にもしない。若者は格好よさに惚れてしまった男の横顔を携帯で「パシャパシャ」と撮り続ける。男は若者に食事やタバコを手に入れるコツを実践的に伝授していく。時には若者の携帯に彼女らしき人物から連絡が入る。そういうときだけ、若者は楽しさをどこかに放り出したかのような態度になる。その様子を男は静かに見ている。僅か数日、言葉もほとんど交わすことのない、歩くだけの時間の中で彼らの関係は密になっていく。そして目的地である上野へと辿り着いた時に男が河川敷で暮らしていた、この数日でなんとなくは感じていたその理由を若者は知る。そこに横たわっていたのは取り返すことの出来ない時間であった。でも、ここにきちんと戻ることで男は決めていた新たな人生を歩もうと決意し、若者は今までとは違う新たな気持ちを抱えて河川敷へと戻っていく。
主人公の若者を演じるのはお笑いコンビ カラテカの矢部太郎。中年男を演じるのは舞台を中心にTVのコメンテーターなどとしても活躍する池畑慎之介。矢部太郎はもちろん初めての映画主演作品、池畑慎之介は奇才
松本俊夫監督による『薔薇の葬列』(1969)以来の主演作である。池畑慎之介は自分のイメージと全く違う役だからこそ、この作品への出演を快諾したという。彼の演じるホームレスが作品の大きな見所であるのは言うまでもないだろう。
この作品が初の劇場長編作となる白岩久弥監督は、孤独にならなければ前に進むことは出来ないのだから、そうなることを恐れるなという意味をこの作品に込めたのだという。それは頑ななものではなく、いつだって携帯電話ひとつ持っていれば繋がることのできる孤独、人間のつながりを前提とした孤独である。作中では中年男は頑なな孤独を自らの手で選んできた。だからこそ新たな先を見据えている。彼が目的地であった人々も彼の不在という事実に耐えてきている。主人公の若者もまったりとしていながらも、「会社を辞めたらあっという間に河川敷にたどり着いた」と語っているのだから、気付かぬうちにそこに耐えていたのかもしれない。河川敷で和気藹々と暮らしているように見える彼の仲間たちも同様だ。エンディングで彼はあこがれからの真似事であろうが自らの新たなスタート地点になるかもしれないラインに立ったのだろう。
左とん平、山城新伍、梅津栄、多岐川裕美というベテラン俳優の存在感(映像にシマリが生まれる)、片桐はいり、木村祐一、温水洋一、板尾創路、山田雅人という個性派らの味わいも光っている。
ホームレス仲間の日常をもう少し描き込んでも、削っても良かったのかななどと感じたり、携帯電話の充電はどうしているんだろうという、どうでもいいかもしれないディテールが気になってもしまったのだが、ホームレスのネガティブなイメージではなく、普通の人間として生きていくことにちょっと前向きな、ファンタジックな気分、心地よさのある小品に仕上がっている(最近読んだポール・オースターのエッセイも個人的には重なってきたのだが、それはまた別の機会にでも)。ぜひ、劇場に脚を運んでください。 |