「一色まことによる大人気コミックの持つテイストを活かし、新たなエピソードも加え作り上げた、家族で楽しめる、笑えて、泣ける、ファンタジックな人情喜劇」
コミック、漫画が映画の原作となることは新旧の作品を問わず、当然のものとなっている。マーケティング的には潜在的なコミックのファンの存在が計算されているのだろうが、そこには常に原作であるコミックと映画化されたコミックという溝が開いており、多くのファンを抱える作品ほど、その溝は深く広くなってくる。そういった部分を考えると映画化に際して、よりコミックに忠実であるか、よりオリジナルでいくのかというセレクトは相当に難しいだろうなと思う。今回紹介する『花田少年史 幽霊と秘密のトンネル』もそうした大人気コミックを映画化した作品である。
この作品の原作に当るコミック「花田少年史」は漫画家 一色まことが1994年から「ミスター・マガジン」に連載したもの。単行本全5巻が90万部以上を売り上げるロング・セラーを記録している大人気コミックであると共に、第19回講談社漫画賞受賞など高い評価も獲得している。また、この映画化の前には深夜枠ながらアニメーションとしてTV放映され、高い視聴率を獲得すると共に、「東京国際アニメフェア2003」での最優秀作品賞、シンガポールで開催された「第8回アジアテレビジョンアワード」での長編アニメーション部門最優秀賞受賞など高い評価も獲得してきている。コミックはここ数年、映画界でも大きな潮流となっている“昭和ノスタルジー”ともいえる人情や家族を描いており、そうした部分も考えると今回の実写化は必然的ともいえるだろう。
先ほども書いたように、映画化に際しては全5巻という原作の中から、どのような物語を組み立てていくのかがの重要な部分となったはずだ。TVアニメのようなコミックに即したワン・エピソード(TVは連続ものだが)というセレクトもありえたかもしれないが、結果的にこの作品に関しては原作のエピソードを活かしながらも別の作品を作り上げたと考えていい内容となっている。原作のキャラクター、重要な要素は取り込みながら、同じくらい新たなエピソードを加え、ひとつの作品を作り上げていくという方法だ。それに対して賛否はあるだろうが、原作の持つ“人情”や“ファンタジー”を失うことなく、きちんと前面に押し出した構成はひとつの作品としてまとまりのあるいい方向に向かっていると思う。
コミックの舞台は昭和30〜40年代あたりと推測できたが、映画化ではほぼ現在となっている。でも、主人公の少年が暮らす家は厠が外にあるし、テレビは大きな箱型だし、卓袱台で家族揃って食事をするなどと昭和の雰囲気を背負っている。そこにあるのは家族という密な関係であり、原作通りに事故にあって生死をさまよい、幽霊が見えるようになった主人公の少年が嫌々ながらもぶち当たる状況、周囲の状況もこの家族という関係に集約されてくる。密な家族関係を持っているはずだった少年はある幽霊の存在により、その関係に疑いを持ち始め、彼のライバルの女の子と親友はお互いの親の再婚という状況に揺れ始めていく。そして、彼の前に現れたセーラー服姿の少女などの幽霊たちも家族という関係を背負っているのだ。そういう部分では舞台が現在ではあるが、様々な家族、人の関係が精神的な“昭和ノスタルジー(的人情)”に繋がっているということだ。その家族の関係は主人公のように密なものばかりではない。だからこそ、主人公は幽霊たちに頼られるのだ。
この作品が初めての劇場映画監督作となる水田伸生は、自らの体験を重ね合わせて号泣するほどの原作のファンであるという。そんな監督は撮影中に「(この作品を観た方が)「大切なひとに」素直な気持ちを伝えられますように」とずっと考えていたという。家族を中心に様々な人間の関係を描いたこの作品は正にそうしたテイストに満ちている。
様々な家族、人の関係(それは飼い犬まで)の中、物語は大きな笑いや感動的な出来事を山のように取り込みながら進んでいく。正直、ラストなどはやりすぎかなという感もあるのだが、これは今の映画、エンタテインメントとしての人情喜劇ではここまで畳み込まなければならないということなのかもしれない。ただ、個人的にはもう少しファンタジックさを前面に押し出すことも出来たのではないだろうかとも思う(ま、あれもファンタジックなのだろうが)。
主人公の少年役の須賀健太はもちろん、彼の母親役の篠原涼子、父親役の西村雅彦という物語の中心となる家族を演じる役者陣が素晴らしく、家族の良さを際立たせていると思う。また、脇ではもたいまさこ、杉本哲太(どちらも幽霊だ)などが印象に残る。
笑い、感動、ファンタジックな要素をてんこ盛りに盛り込んだ、少年のひと夏の出来事を描いたこの作品はファミリーで楽しむことが出来る内容だと思う。ぜひ、劇場に足を運んでください。 |