「“ロック映画オールタイムベスト100”の第8位に選出されるなど世界中が熱狂と絶賛を持って迎えた2つのロック・バンドの軌跡からロック・バンド、ロック・ビジネスの裏側を捉えた傑作ロック・ドキュメンタリー」
今は半ば活動停止状態だが、イギリスを代表するロック・バンド キンクスは“Rock bands will come,rock bands will go,but rock'n roll gonna go on forever!”という決め台詞を持っている。その決め台詞のように世界中をロードしてまわるロック・バンドは様々な遺産を落とし続けていく。RCサクセションの名曲「トランジスタラジオ」ではないけれど、それがラジオの電波に乗ってやってくる場合もある(今はネットか)。その影響から生まれてくる山のようなロック・バンドの中で成功を手にするものはほんの爪先程度だし、そうした成功を“商業主義”と忌み嫌うバンドもある。この『DIG!』という作品は同じような立場から始まり、別の道を歩むことになってしまった2つのバンドを捉えたドキュメンタリーである。
この作品『DIG!』に登場するふたつのバンドはブライアン・ジョーンズタウン・マサカー(以下BJM)とダンディー・ウォーホールズ(以下DW)である。熱狂的なファンは抱えてはいるものの、一般的にはどちらも無名のバンドであろう彼らは1990年代に1960年代のサイケデリック・ロック、ガレージ・ロックなどの影響下で生まれてきている(BJMはローリング・ストーンズのオリジナルメンバーで核であったブライアン・ジョーンズの名をとっていることからも明らかだろう)。どちらのバンドも才能溢れるフロントマンに率いられるバンドであること、BJMがサイケデリックの聖地的な存在のサンフランシスコ、DWがアメリカの中でも自由な気風が高い都市ポートランド出身であることなど相通ずる分は数多い(本物のヒッピーがサンフランシスコを離れ、向かった地のひとつがポートランドであった)。文化的にも近い、遠くはない西海岸の都市を拠点とするこのふたつのバンドが引き寄せられていくことは必然であり、彼らはドラッグを浴びながら、共同で音楽業界に革命を起こしてやろうとする。そんなバンドの圧倒的な才能にメジャー・レコード会社も群がり始める。両バンドとも契約のためのショーケースが与えられ、DWはキャピトル・レコードと契約、一方、BJMは乱闘沙汰を起こし、契約はご破算となってしまう。
この作品を監督したオンディ・ティモナーは「(ロック・バンドが)音楽ビジネスの世界で大衆の心をつかむ過程において、そのバンドがどうやってアイデンティティを保つのかを観察したいと思った。」と語っている。別にBJMとDWのファンではなく、レコード会社との契約を望む10ほどのバンドの中で最も興味を憶えたのがBJMで、その繋がりからDWにたどり着いたのだという。その時点でDWはキャピトル・レコードの契約を締結し、BJMとの間には愛憎半ばする空気が漂っていたという。「アートとビジネスがぶつかるときに何が起こるかという問題を、2つのロック・バンドのリーダーの目を通して提起するのがこの作品です。」とも監督は語っている。視点は極めてジャーナリスティックなのだ。撮影は7年間(1500時間のテープ)にも及んだというが、その中であまりにも対照的な結果が生じたというのは幸運以外の何ものでもないだろう。ここにはインディペンデントでめくらめっぽうやっていく問題、メジャーになったから圧し掛かってくる問題が赤裸々に描かれている。 メジャー・レコード会社のディレクターは「1割の大ヒットが9割の赤字バンド(ミュージシャン)を支えている。だから、大ヒットを出さなければならない。」と当たり前のように語る。DWは大ヒットを出すと見込まれ、プロモーションのためにとんでもない金額を投じ、惨敗する。結果的に金にならなかったDWはレコード会社から全く相手にされない存在へとなっていく。そこで何とかしようと思ったDWには思わぬ幸運が舞い込む。アメリカは惨敗したが、ヨーロッパでは圧倒的な人気を博していくのだ。しかもCMに曲が使用され、その人気は加速し、世界中で人気と評価を獲得していく。ここで何がなんでも生き残るという気概がDWにはあり、だからこそ、ワンチャンスをものにしていくのだ。 一方、BJMは何度となく巡ってくるそのチャンスをふいにしていく。それはDWというバンドを維持しようとした才能あるフロントマンとBJMは自分自身だと考えていた才能あるフロントマン(それは確かだということも分かるはずだ)の差だといえばそれまでだ。結局、そのフロントマンゆえにバンドはライブの最中に揉め事を起こし、徐々にメンバーが抜けていく(そのメンバーがブラック・モーター・サイクル・クラブ、ワーロック、ミランダ・リー・リチャーズなどであるのは特筆すべきことだろう)。同時にDWに対する攻撃性も高めていく(彼らを中傷する曲も発表する)。音楽性の高さはあるが、BJMにかけていたものはバンドとしてのプロ意識だった。結局、ライブに来る観客の多くは彼らの乱闘を目当てにし始める。その結果、音楽性は無視されていく(こういう結果的にスキャンダリズムが売りとなったバンドは日本でも多かった)。作品の最後、ほぼアコースティックのソロ・ユニットに近くなった彼には客席から食べ物が投げ込まれる。それに対する彼のコメントは素晴らしいが、客は以前のイメージを期待しているのだ(日本のライブが美しい思い出のように描かれているのは純粋に音楽を楽しむ、彼らのファンだったからだ)。 DWは成功し、BJMは圧倒的な評価を持つアンダーグラウンド的な存在として今なお光を輝き続けている。作品の最後にDWのフロントマンであるコートニー・テイラーは「後世に評価される作品はDWではなく、BJMだろう。」と自嘲的に、確信的に語っている。結局はこの発言がDWをメジャーに留めているということは誰もが納得できるはずだ。この作品はメジャーとインディペンデントの差を語るのではなく、どこに着地をするのかという問題を語った作品であり、音楽業界の裏側にスポットを当てた作品でもある。「メジャーになったら変わった」と語る人は多いが、なぜ変わるのかという回答のひとつにもなっているだろう。この2つのバンドのファンでなくても存分に楽しめるので、音楽好きの方はぜひ、劇場に脚を運んでください。
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