「人生の底を舐めたふたりの男がボクシングを手に再び自分の人生を取り戻していく様を熱く描いた、韓国映画界の異才リュ・スンボム監督によるカンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞受賞作」
東京、新宿の歌舞伎町で“殴られ屋”という商売をしていた元プロボクサーを記憶の片隅に留めている方は多いと思う。自らは一切手を出さず、1分の間、相手のパンチを受け、避ける。ヘッドガードをしているとはいえ、酔っ払いを中心に腕に憶えのある奴が思い切りパンチを繰り出してきて、まともに喰らうこともある。彼が“殴られ屋”を始めたのは多額の借金があったからだった。でも、借金は返済することが出来ず、深刻な後遺症を背負うことになってしまった。その元プロボクサーの名は晴留屋明(ハレルヤ アキラ)。そんな彼をモデルにした1本の映画が出来上がった。それが今回紹介する『クライング・フィスト』である。
晴留屋明をモデルとして出来上がった、この『クライング・フィスト』は日本映画ではなく、韓国映画である。晴留屋明をモデルにしようと思った発端はこの作品のプロデューサーと監督であるリュ・スンボムが彼のドキュメンタリー番組を観たことだった。そして、このドキュメンタリー番組の前にふたりは別のプロボクサーに関するドキュメンタリー番組を観て、彼にも魅了されていた。それは少年院でボクシングに出会い、プロボクサーとして更生し、その後、K-1など異種格闘技に進出したソ・チョルであった。それぞれに大きな波乱の中を生きてきたボクサーが同じリングに立つとしたらどうなるだろうか、そのイメージがこの作品を作り上げていくことになった。
監督のリュ・スワンは韓国映画界の中では独特の色合いを持つ監督である。日本で劇場公開されたのは韓国版カンフー作品『ARAHAN/アラハン』だけだが、初の長編作品となった『ダイ・バッド死ぬか、もしくは悪(ワル)になるか』(劇場未公開、ビデオのみ)という荒々しくも強烈な作品を残し、監督業だけでなく、俳優など縦横無尽に活躍し続け、その才能は大きな注目を浴び続けていた。結果的に、この作品でカンヌ国際映画祭の国際批評家連盟賞を受賞し、韓国国内だけではなく、一気に世界が注目する才能へとなった。そんなリュ・スワン監督の作品に欠かせないのが、注目すべき若手俳優である実弟のリュ・スンボムである。この作品で彼は少年院上がりのソ・チョルをモデルとしたボクサーのユ・サンファンを演じている。一方、晴留屋明をモデルにしたボクサー カン・テシクを演じるのは韓国を代表する俳優チェ・ミンシクである。監督とプロデューサーはこの役はチェ・ミンシクしかいないと思ったものの、チェ・ミンシク自身は『オールド・ボーイ』以降、アクション作品への出演を封印していた。ただ、チェ・ミンシクもこのドキュメンタリー番組を観ており、その強烈な印象を記憶していたのだった。「どんな逆境の中にいても逃げ出さず、裸一貫で正々堂々と人生に立ち向かう人物。ボクシングしか知らずに生きてきた、純粋な心を持っているが不器用。」チェ・ミンシクは作品に出演した動機をカン・テシクという人物に共感した部分と合わせて語っている。
アクション映画への出演を封印していたチェ・ミンシクが出演を快諾したことから分かるように、この作品はふたりの年齢に関係なく人生の辛酸を舐めた男たちが自分を支えてくれる人々に気づき、それしかなかったボクシングを手立てとして再生していく様を描いたものである。
アジア大会のボクシング代表の銀メダリストでありながらもどうしようもないほどの借金を抱え、いい暮らしも家族も崩壊したカン・テシクはヘッドガードとグラブを手に繁華街のど真ん中に立ち、メガホンで“殴られ屋”の宣伝を始める。最初は訝しがっていた通行人も徐々に集り始め、TVで取り上げられることなどによって、そこの名物とまでなっていく。でも、そのことが彼を再び、窮地に追い込んでもいくのだ。その頃、ユ・サンファンは少年たちを脅し、カツアゲをし、挙句の果てには大きな騒動を起こし、その示談金のために高利貸しを襲い、逮捕され、少年院へと収監されてしまう。事を起こすたびに何度となく警察に頭を下げ続けた父親の努力も無になってしまう。
カン・テシクはTVに出ることで、逃げ続けていた高利貸しに再び追われることになり、ユ・サンファンは少年院に入って、お礼代わりの因縁をつけられ、そいつがやっていたボクシングという公式の殴り合いに出会う。ユ・サンファンは若く、まだ前途が開けているが、カン・テシクは年齢的にも後がない。一方はボクシングを発見し、一方はボクシングしかないと気付く。そして、両者は新人王戦の場へと向かっていく。
クライマックスの新人王戦決勝のリアル・ファイトのシーン(リュ・スンボムのパンチがチェ・ミンシクに入ってしまうなど相当に危うい場面もあったという)などボクシング映画としての見ごたえも十二分のものがあるが、この作品でなんといっても印象的なのはふたりの顔、眼の表情である。どちらも言葉でうまく説明する手立てを知らない、先に手が出てしまうような寡黙な人物なのだが、落ちるところまで落ち、そこでなんとか這い上がろうともがいている様の全てがその表情に表れているのだ。ふたりのそうした人生は最後の6ラウンドのリングでしか交わらない。そこで彼らはどうしても手に入れなければならない自らのプライドのために全精力を傾ける。その最後に待っているのはふたりが生み出す最高の表情だ。そして、この表情を映し出したいがために『クライング・フィスト』という作品を撮ったとリュ・スンワン監督は語っている。韓国映画だが、この作品は韓流ファンでなく、男臭さのあるヒューマン・ドラマ、そういったボクシング映画が好きな方にこそ、アピールする魅力を持っている。ぜひ、劇場に足を運んでください。 |