「誰もが当たり前のように持つ他人への見知らぬ恐怖と差別を描いた心震える群像劇。『ミリオンダラー・ベイビー』の脚本家ポール・ハギスの素晴らしい映画監督デビュー作」
2004年のアカデミー賞で作品賞、監督賞など主要4部門を受賞、蛇足かもしれないがこのサイトで募集した“最高の映画、期待はずれの映画2005上半期編”でも“最高の映画”部門の第1位を獲得した作品『ミリオンダラー・ベイビー』。昨年、日本で公開された作品の中で最も感銘を受けたもののひとつという方もきっと多いだろう。この作品で劇場用映画の脚本家デビューを果たしたポール・ハギスの映画監督デビュー作が公開される。それが今回紹介する『クラッシュ』である。
日本では無名の存在だが、ポール・ハギスは70年代から数多くのTV番組の脚本家、製作者、デイレクターとして活躍していた。彼は多くの傑作を生み出してきたが、中でも「Due
South」、「EZ Streets」というTVシリーズは数多くの名誉ある賞と高い評価を獲得してきている。彼がこうした圧倒的な評価と安定を獲得していたTVの世界を離れ、映画への参入決意をしたのは2000年、50歳を目前にしてのことだった。その時に彼が手掛けていた脚本のひとつが『ミリオンダラー・ベイビー』であり、もうひとつがこの『クラッシュ』だった(『クラッシュ』は彼の友人であるボビー・モレスコと共に書き上げている)。
『ミリオンダラー・ベイビー』は衝撃的な作品であったが、そうした衝撃ではこの作品『クラッシュ』も劣ることがない。いや、それ以上の衝撃をもたらす作品であるかもしれない。この作品が描くのはロサンゼルスという都会に暮らす人々のほぼ1日という時間の中で生み出される鎖状に絡まったドラマである。主たる登場人物たちはアフロ・アメリカンの刑事、ラテン系の女性刑事、若いアフロ・アメリカンの青年、家族を支えるために寝る間を惜しみ働くアフロ・アメリカンの男、すでにTVディレクターとして地位を確立しているアフロ・アメリカンの男とその妻、差別主義者の白人警官とその同僚、白人の地方検事とその妻、雑貨店を経営するペルシャ人の男とその家族である。見ず知らずの彼らの人生はこの都会で交わっていく。交わりは偶然ではあるが、必然的な要素が絡んでくる。それがこの作品の大きなテーマの見知らぬ人への恐怖が生む差別であり、それが生み出すもの、タイトルでもある『クラッシュ』なのである。
ロサンゼルスに25年間住んできたハギス監督は人々が日々の生活でお互いを差別することを目の当たりにしてきた。その差別は大っぴらではなく、それが存在していないように振舞うことで成り立っていたという。ハギス監督がこの作品の脚本を書き上げようと思ったきっかけとなったは、自らが銃を突きつけられ、カージャックされたことだった。家に戻り、恐怖から家の鍵を全て交換した彼はその男たちについて考え始め、数年後に彼らの視点から、物語を書き始める。そんな頃に起こったのが9.11の同時多発テロだった。この事件は人々の隣人の見方さえ大きく変えてしまう。あまりの事の大きさから見えない恐怖と目に見える差別意識が沸き起こってきたのだった。9.11以前でも当たり前のように存在し続けていた見知らぬ恐怖と差別、それが浮かび上がってきたのだった。
『クラッシュ』という作品は映画ならではの醍醐味である循環する群像劇となっている。そこに現れるシーンには相当な嫌悪感を感じざる得ない。建国から移民という存在で成り立ってきた国家であるアメリカ、その移民の多くが集まる大都会ロサンゼルスで差別主義者の警官はこれ見よがしにアフロ・アメリカンを緊急停止させ、屈辱的な取調べを行なう。アフロ・アメリカンの若者は銃を手にカージャックを繰り返す。カージャックにあった白人の地方検事の妻は黒人への不信感に凝り固まる。屈辱的な取調べを受けたアフロ・アメリカンの地位ある男は警官はもちろん、真っ当に働かない黒人の若者たちへの苛立ちを隠さない。ペルシャ系の男の店はイラク人と間違えられ、襲われ続ける。そんなことから男は不信感と苛立ちを募らせている。彼らは皆、アメリカ人であり、アメリカという国を支えている礎である。でも、その礎がいかにもろいかということ、そのもろさの要因である不信と恐怖をこの作品は見事に描き出している。この不信はと恐怖は武器(銃)へと結びついてもいくのだ。ここに描かれたものはアメリカに暮らす人々にとってきっと他人事ではないだろう。それを明確に突きつけたという部分でもこの作品は想像を超えた力を持っている。
作品はドラマだからこそ、登場人物たちを想像もしなかった道筋へと運んでいく。例えば、人種差別主義者の警官には悪漢のままでは終わらないファンタジック、希望とも思えるような展開が待ち受けているし、良心的だと思われていた人間には思ってもみなかった落とし穴、絶望が待ち受けていたりもする。英雄や良心的な人間がそのままで終わるわけではないし、悪漢がずっとそのままであるわけでもない。ここには紙一重のような人生と人間の存在が描かれている。オープニングでドン・チードル扮する刑事は「人々はぶつかりたがっているんだ」と呟くが、この呟きは映画の中で描かれているアメリカにとっても、日々をこうして生きている僕たちにとっても他人事ではない意味深い言葉だ。
アメリカ人にとっては相当に切実な世界を描いた作品だが、日本人である僕たちのとっても決して対岸の物語ではないものであるし、群像ドラマとしても素晴らしい出来栄えの作品となっている。社会派の作品やヒューマン・ドラマが好きなら、ぜひ、劇場に脚を運んでください。 |