「日本の映画界には欠かせない豪華な役者陣が集結した、アイデアが十二分に光る、若き新鋭監督の劇場長編第2作」
映画学校が増えているという話をずいぶん前に聞いた。表現手段として、映像の間口はより広く、より手軽になってきていることから意外さは感じなかったのだが、映画自体の間口は広がっているとはいえないので、そこからどれほどの新しい才能が飛び出してくるのかには多少の疑問も感じていた。それでも確かに、若い監督たちの作品の公開が増えてきているし、面白い作品も出来てきているように感じられる。今回紹介する『colors』もそうした作品のひとつである。
この作品を監督したのは1982年生まれだというから、まだ20代前半の若者である柿本ケンサク。学生時代から映画、ミュ−ジック・ビデオの助監督を経験しながら、映像学校に通い、自らの作品を制作、発表し続けていた彼は中野裕之監督を中心とした映像ユニット“ピースブラザース”の末っ子としても活躍し、現在もミュ−ジック・ビデオ、コマーシャル・フィルム、自らの作品など様々な映像分野でバシバシと活動し続けている。この作品はそんな彼の劇場長編第2作目であり、実は初めての長編作品でもある(公開順序が前後したということ)。
村上淳、光石研、松岡俊介、高野八誠、川村亜紀、目黒真希、山本浩司、渡辺真起子、マメ山田という日本の映画界には欠かせない俳優たちが集結したこの作品は監督曰く「全くお金がかかっていない自主作品」だという。 例えば、この作品に集結した俳優たちの多くは監督自身と同じマネージメント事務所に所属している。ただ、同じ釜の飯だから出演しようと思ったのではなく、どこかに監督自身のセンスを感じたからであろうことは確かである。この作品はそうしたセンスにより、支えられているのだ。
物語は病院で入院しているひとりの男の姿から始まる。次の瞬間、男はピンク色の世界の中をグルグルと歩き回っている。それは小さな箱の中のような世界で、床には鍵穴らしきものがあいている。この箱に閉じ込められているのは男だけではない。青い箱、黄色い箱、紫の箱などそれぞれの世界に男や女が閉じ込められている。彼らの箱は移動をしているのか、どこかで通じているのかは不明だが、互いに出会うことも出来る。ただ、彼らには自分たちがここにいる理由は一切分からないし、互いにどこかで出会っていたこともない。ここにいる、閉じ込められているであろう7人が集り、この事態に想像をめぐらせているとき、ひとりが消えてしまう。
こういった展開を読んで、実際にその辺りを観て、思い出すのは『CUBE』であるのだが、この作品は“箱の中から抜け出す”という目的は存在するが、物語展開はサスペンスでもミステリーでもない部分へとシフトしてくる。それは「なぜ、ここにいるのか」ということである。実際、彼らは普通の、今まで生きてきた世界から隔絶されているため、生きているのかも死んでいるのかも分からない。そのキーとなってくるのが、それぞれの人物が普通の世界で抱えてきたものである。それが重なってくることで「なぜ、ここにいるか」が分かり、自分たちの新たなステージへと跳躍できるようになるわけだ。この作品で最も大切なのはこの跳躍である。そこに観る側は爽快感、小気味良さ、感動すら感じてしまうのだ。タイトルの『colors』とは彼らのいる箱であり、その箱に閉じ込められた彼らの人生模様であり、その人生模様はちょっとした選択で色のように変化することを表しているのだろう。
狭い箱の中で撮影しているからだろうが、ほとんど寄りで展開されていく映像の展開、後半の物語が畳み掛けてくる部分に押し込まれる主義主張には長さや重さを感じる向きがあるかもしれない。でも、若さというのは得てして冗長なものである。この作品に一貫して流れているのはそうした若さだろう(それは“ピースブラザース”的ということもできるだろう)。例えば、前半の箱の中のシーンをより削り、主義主張的な部分をなくしていけば、作品はよりスピーディーで、より面白くなったかもしれない。でも、それをやらないのは若さで、それゆえの強さなんだと思う。そしてそこが多くの役者、スタッフを魅了したセンスに繋がっているのだろう。
作品は役者の良さはもちろん、そのアイデアが十二分に光っている。冗長かもしれないが、言いたい部分をきっちりと描いていこうという気概にも満ちているし、後半の畳み込むような展開には先にも書いたように爽快感や心地良さも感じるはずだ。そうした爽快感を感じる、若い才能を確認するためにも、ぜひ劇場に足を運んでください(ちなみに 柿本ケンサク監督はこの後の作品もすでに出来上がっているようだが、そちらも楽しみである)。 |