「学生による映画制作という舞台を背景に、映画の持つ可能性に果敢と挑戦したベテラン監督
柳町光男の若々しさ溢れ、衝撃的な青春群像劇」
|
>>拡大写真
(C)2006「カミュなんて知らない」製作委員会 |
最近はDVDのボーナス映像の充実などにより、メイキングという形で映画作りの背景を追うことも可能になった。ものによっては本編よりもこのメイキングの方が面白いという作品もあるくらいだ。それ以前から映画のメイキングが正式な作品としてロードショー公開されることもあった。そして映画製作の現場を背景とした映画が作られることも多かった。こうした作品を観ていて思うのは、映画制作の現場は想像以上にエキサイティングで魅力的であるということだ。今回紹介する作品『カミュなんて知らない』も映画の製作現場を背景にしたドラマ作品である。
この作品が背景とする映画制作の舞台はとある大学の講座“映像ワークショップ”である。ここで学生たちは不条理殺人をテーマにした「退屈な殺人者」という映画を制作することになっている。すでにクランクインも目前だが、その準備は思うようにいっていない。しかも映画と共に彼らの生活にも様々な出来事が起こっていくのだ。
この作品のテイストをひとことで表すとしたら、講座を主催する教授、映画制作に関わるスタッフや俳優たちの日常を1日ごとに追っていくことで描かれる青春群像劇になる。こういった大枠となる青春群像劇に映画で映画を語るということや、殺人というものをどのように捉えるのかというテーマがついてくる。
|
>>拡大写真
(C)2006「カミュなんて知らない」製作委員会 |
例えば、この作品のオープニングは大学のキャンパスの中庭的な部分を舞台に、通りすがる人物たちにカメラを移し変えながら、長まわしで撮られていくシーンとなっている(6分半だという)。このシーンでは作品の主要な登場人物にスポットが当てられるのだが、それ以上に面白いのが“映像ワークショップ”の講座を受講するマニアックな学生たちが、長ましの素晴らしい映画について語り合っていることである。『黒い罠』、『ザ・プレイヤー』、『ションベン・ライダー』などのタイトルが挙げられていく中、それに果敢と挑戦するようにカメラは長まわしを駆使していくのだ。その他にも作品の中で語られるちょっとマニアックな映画の会話をモチーフに、それらの作品に果敢に挑戦し、オマージュを捧げるという演出方法が取り入れられている。
殺人というものをどのように捉えるのかは、学生たちが「退屈な殺人者」という作品を教授から撮るようにと指示された際のテーマでもある。この作中の映画のモチーフとなっているのは2000年5月に愛知県の豊橋市で起こった老婆刺殺事件である。犯人である男子高校生は「人殺しを経験してみたかった。人を殺したらどうなるか、実験したかったと言ってもいいです。」と殺人の動機について語っている。毎日のように殺人事件が起こっているので、この事件のことを憶えている方も少ないだろうが、理由もない不条理な殺人は作品のタイトルに使用されている作家カミュの「異邦人」の世界にも連なってくるものである。映画制作の過程で助監督が主演となる俳優にこれを読むといいよとカミュの「異邦人」を奨めるシーンもきちんと描かれている。もちろん主演の子はカミュなんて読んだことも聞いたこともないのだ(それは殺人を犯した高校生も同様だろう)。作品のクライマックスには殺人事件の様子が描かれていく。これは学生たちの捉えた殺人という回答でもあるのだが、主演の俳優が完全に暴走してしまったようにも感じられる虚と実の境目がないような映像になっている。作品中ではこのシーンのみが映画全体から解き放たれたように迫ってくる。それはこちら側に投げかけられた殺人とは何なのかという質問でもあるのだ。その後に続く、エンドクレジットのバックに流れる映像も相当な後味を引き摺るものとなっている。
監督、脚本は『十九歳の地図』、『さらば愛しき大地』、『火まつり』などの作品で知られる柳町光男。この作品の発端について監督は、早稲田大学で2001年から2003年まで客員教授として教鞭をとった“映像ワークショップ”での経験をあげた上で「実際の学生たちは、こういった社会的な事件は映画にはしないです。この作品では教授に命じられて、彼らと同じ世代の人間が犯した殺人事件を映画にする。殺人を犯すことで踏み留まらずに行っちゃった人、多くの踏み留まっている人にも共通点があるはずで、そのことから何が見えるか、見えないかが、この作品のひとつのテーマですね」と語っている。
|
>>拡大写真
(C)2006「カミュなんて知らない」製作委員会 |
それを投げかけているラストのシーンはもちろんだが、教授、学生たちの間に展開する恋愛感情、信頼などちょっとグタグタとした、縺れた人間関係を描いていく前半部分もよく出来ている。特に映画制作の過程での解釈を巡る口論と恋愛が重なっていく部分などは「ありえるよな」と感じざる得ない。そして、作品中では歌舞伎はなぜ生き永らえ、映画は駄目になったのかという何気ない質問に対する教授なりの解釈が語られる。映画の名作、傑作からの引用を含め、この作品は映画の持つ可能性、活力への大いなる挑戦にもなっている。ショッキングなラストのクライマックスのシーンも含め、この作品は柳町監督が学生たちと相対することで生み出したスリリングで、衝撃的な映画の可能性を秘めた作品だと思う。ぜひ、劇場に脚を運んでください。 |