「クリスマス・イヴ、第1次世界大戦下の戦場の最前線で起こった奇蹟のような出来事から生み出された、感動的だけでなく、様々な想いを抱かせるヒューマン・ドラマ」
戦争は勝ったものにも負けたものにも大きな傷痕を残す。だからこそ、人類最大の愚行と呼ばれるのだろう。でも、その戦争はあまりにも陰惨なものから勇敢なもの、奇蹟的なものと様々なドラマを生み出す。それらのドラマは体験者によって語られ、文書として残され、時には感動的な物語へとなっていく。もちろん、映画化されるものも数多い。“極限のドラマ”というありきたりなコピーがあるが、戦争が生み出すドラマはまさに極限から生まれ、こちら側を捉えるのである。今回紹介する『戦場のアリア』もそういった極限の戦場が生み出したドラマのひとつである。
この作品は最前線の戦場で起こったひとつの奇跡的な、人間の良心を示すような出来事を描いた作品である。それは西欧人の多くにとって大切な日であろうクリスマスに起こった出来事である。“クリスマス休戦”という言葉を聞いたことがあるかもしれないが、この日だけは暗黙の了解として攻撃をしない、正式な休戦を申し入れるということが戦争にはあった。一見、無差別に思われる戦争も国際法というルールに基づいて行うことが決まりとなっており、休戦はそのルールのひとつである(逆にこういう宗教上、慣習上の重要な日を逆手に取る攻撃も何度となく行われてきたのも戦争である)。でも、休戦が兵士にとって1日限りのつかの間の休憩になるのか、それ以上のものになるのかはその場の状況で変わってくる。この作品の場合はもちろん、それ以上のものになったのだ。
物語の舞台となる戦場は第1次世界大戦のフランス北部である。当時、この地方はフランスの領土でありながらも実質的にはドイツ軍の占領下にあった。ここをドイツ軍の手から取り戻すためにフランス軍をはじめとする連合軍は戦いを続けていた。その最前線である一角でドイツ軍、フランス軍、スコットランド軍という3つの軍隊がそれぞれに戦い続けている。先の見えない日々の戦いに、家族と共に過ごすはずだったクリスマスもこの最前線で過ごさざる得ない状況に兵士たちは鬱屈としたものを抱えている。そうした中、クリスマス・イブの夜に信じられない出来事が起きる。
この作品が日本では始めての劇場公開作品となるフランス映画界期待の新鋭であるクリスチャン・カリオン監督は幼少期を第1次世界大戦下にドイツの支配下にあったこのフランス北部で過ごし、そこに暮らす人々の体験からその当時の記憶を肌身に感じていたという。そんな監督がこの北部地方での第1次世界大戦の戦いを書いたある1冊の本に出会う。そこには1914年のクリスマスに起こった緊迫する戦争下での信じられない出来事が綴られていた。そしてこの出来事に関する資料探しに奔走するとイギリスを中心に様々な事実を裏付ける新聞や手紙など様々なものが出てくる。実はフランスではこれらの資料の多くは「好ましくない」という理由でその当時に破棄され、歴史から消されていたのだった。実際、この作品も撮影に入ってからフランス軍の反対を受けているという(フランス軍にとってはきっと今でも呪縛なのだろう)。
作品はフランス軍、ドイツ軍、スコットランド軍、それぞれの兵士たちが抱えるものが交差しながら進んでいく。身重の妻がドイツ軍支配下の町に暮らすフランス軍の指揮官、闘う仲間たちのために自らが志願し、兵士となったドイツ人の有名なテノール歌手と彼を追って戦場へとやって来た妻のソプラノ歌手、兄弟で喜び勇み、この戦争に加わったものの、兄を戦場で亡くしてしまったスコットランド軍の兵士、その兄弟と顔なじみであり、複雑なものを抱えながら戦場へとやって来た神父、戦いに対しひたすらに忠実なドイツ軍の司令官、最前線、終わりの見えない戦争という状況に鬱屈しながらも兵士としての職務に忠実であろうという彼らの心境はクリスマス・イブの夜を境に一変する。
ドイツ軍とフランス軍&スコットランド軍が対峙する前線、クリスマス・イブの夜にドイツ軍の塹壕から掲げられるクリスマスツリー、そしてスコットランド軍の塹壕から響き渡るバグパイプの音色による賛美歌、ドイツ軍の塹壕でテノール歌手が「サイレント・ナイト」を歌い始めるとそれに呼応するバグパイプ。全てはここから始まる。ドイツ軍のテノール歌手は塹壕を超え、俗にノーマンズ・ランドといわれる塹壕と塹壕の間の中間地点へと歌いながら向かっていく。これが結果的にクリスマス・イブ一夜限りの停戦へと繋がっていく。この後、3カ国の軍隊が自分たちの酒を交換し、乾杯したり、神父がミサを執り行っていく、これらのシーンは本当に感動的である。
誰もが思うだろうが、この作品を観て、感じるのは国家と個人というものの関係である。兵士たちは国家のために、この戦争に参加している。その気持ちはひとつの休戦を境にほとんどの兵士の中でプッツリと音を立てて切れてしまう。それは自分たちと変わらない、決して悪魔のような奴らではない隣人を知ってしまったからに他ならない。彼らの行動はそのことをきっかけに大きく変わっていく。
第1次世界大戦を舞台とした有名な作品として『西部戦線異状なし』があるが、この『戦場のアリア』の舞台はその作品と同じ、西部戦線であり、同じように反戦、戦争の虚しさを描いている。映画『西部戦線異状なし』の中では若者たちに国の犠牲となることの美しさを説くシーンがあるが、この『戦場のアリア』は子供たちに国の領土を奪われたことや、敵に関する徹底的な思想教育が行われているシーンから入っていく。国家と個人、国家を超えた個人と個人、そこと国家の関係は「国境がなくなればいい」という単純なものではなく、様々な思惑が入り込んでくる。感動的なドラマでありながらもそこで終わらず、そうした部分を考えさせる優れた作品である、この『戦場のアリア』、ぜひ、劇場に脚を運んでください。 |