「死にゆく父、死体に好奇心を持ち始める生徒たち、この線が結びつくことで生まれてくるもの。重松清の短編小説を市川準監督が彼らしい静謐さで描いた、死と生を考えさせる美しい小品」
老若男女を問わず、多くの読書家から支持を受けている作家 重松清。直木賞受賞という肩書きは必要ないであろう人気作家である彼の重厚な、心に染み渡る作品が昨年から徐々に映画化されてきている。「いとしのヒナゴン」を映画化した『ヒナゴン』、同タイトルの長編小説を映画化した『疾走』、そして今回紹介する、やはり同タイトルの短編小説を映画化した『あおげば尊し』である。
この作品『あおげば尊し』は重松清が2004年に発表した短編小説集「卒業」(新潮社刊)に収められた1篇。小説集のタイトル「卒業」にもあるように、ここに収められた小説(4編)は全てが人生のひとつの卒業をテーマとしたものとなっている。そこにあるのは自分の大切な人の死、そしてそこを通じての再生の物語である。
『あおげば尊し』の物語の主人公は末期がんの宣告を受けた父親を持つ中年の男である。彼の職業は小学校の教師、この世からいなくなろうとしている父親の職業も教師だった。彼は家族と共に父親の最期を父の希望を汲み取り、病院ではなく、家で看取ることを決意し、家へと搬送する。学校では教育の指導を巡る様々な問題が存在していた。そういった中、彼のクラスでも大きな問題が起こる。インターネット上のサイトで生徒たちが死体に興味を持ち始めたのだった。
この作品を監督したのは多くの熱狂的なファンを抱える市川準。市川監督は医師である山崎章郎原作による同タイトル本を映画化した『病院で死ぬということ』でホスピスを舞台とした死の物語を描いている。作品は今から10年以上も前のものだが、原作はベストセラーとなり、映画も大きな評判を呼んだので記憶している方も多いだろう。あの作品では死を巡り、患者、家族、病院関係者たちの想いを静謐な時間軸の中に描いていた。この作品でもそうした死に向き合う家族の想いを静謐に描いていくが、そこに死への単純な好奇心しか持たない視線が入り込んでくる。主人公は家族の死の重みを感じながらも、死というものに重さすら感じない子供たちに対処しなければならなくなっていくのだ。
主演は数々のヒットTV番組を生み出したディレクターであり、最近では辛辣なコメンテーターとしてTV、ラジオ、雑誌にと縦横無尽に活躍するテリー伊藤。もちろん、これが初めての映画主演作である。共演に薬師丸ひろ子、加藤武、浅生美代子という名優、実力派が顔を揃えている。
“なぜ自殺をしてはいけないのか”、“なぜ人を殺してはいけないのか”という誰が考えても当たり前だが、その理由に関しては結論のない論議はずっと盛んである。それは自殺者や殺人が増えていること、殺人を犯した者への処罰を巡って盛り上がってきている。誰もが当然だと思うことに説明がつかない。この作品のテーマもそうしたものと直結している。
教師たちはそこにのうのうとしているのではなく、周囲からの締め付けのきつくなる状況に追い込まれ、何をどのように教えたらいいのかに悩み、辞めることすら考え続けている。死の問題もそうしたひとつである。担任である主人公を含め、誰もが解決策を模索するが、その道を誰も見出せない。インターネットの死体サイトを見た少年は「先生は色々なものに興味を持てといっているじゃないか」と主張する。それに対し、教師は「とにかくやめろ」という感情に任せた強圧的な対応しか出来ない。本物の死というものを軽々しく扱ってはいけないと今そこにある感情を表す言葉が彼には浮かんでこないのだ。考えた末に彼が選んだ手段は実際に死にかかっている彼の父親の介護を希望する生徒たちに手伝ってもらうということだった。意識が朦朧としている父親もそのことを了承するが、家族には反対が起きる。それは死者は見世物ではないというという当然の反応である。教師たちも揺れ始める。彼自身だってそれが正しいとは思っていない。でも、自分の姿を見てもらうということは父親にとって最後の大切な授業になると主人公は考えている。それは息子にとっても大切なことを教えられる、親からの最期の授業となっていく。
物語は市川準監督らしい言葉が少なく、淡々とした空気感の中で進んでいく。冬の最中に家へと戻ってきた父親。雪が降り、一面が白い世界に覆われる頃から陽も伸び、だんだんと暖かくなっていき、植物が芽吹いていく季節の変化。それとは対照的に衰えていく父親というコントラストも印象的だ。自らが送り出してきた卒業生が歌う「あおげば尊し」にこだわってきた祖父への愛情のように孫がラジカセから流す祖父が最高と思っている年度のテープ。祖母が読み聞かせる卒業文集。そこからは教師に誇りを持ってきた男の人生が垣間見える。もちろん、家族の静かな苦悩も描かれている。そして淡々とした市川タッチともいうべき物語展開は今までの彼の作品では考えられなかった感動へと導かれていく。
人が生きて、死んでいくというのはどういうことなのかということを感じ、考えさせ、そして胸を打つ市川監督らしい素晴らしい小品だ。物語だけではなく、そこに映し出される風景の移ろいや隙間も感じ取ってもらえればと思う。ぜひ、劇場に脚を運んでください。 |