「婚約者の死、どん底に向かう中から見えてくる希望。香港では作品の素晴らしさが口コミで広がり、大ヒットしたセシリア・チャン、ラウ・チンワン主演による庶民の人生の機微を静謐に描いた大人のためのメロドラマ」
何らかのブームがやってくるとその周辺に転がっていた作品が掻き集められ、劇場で公開、ソフト化されていく。そういった部分での代表的なものが、大ヒット作以前の人気俳優の出演作だろう。いわゆる下積み時代ともいえるこうした作品の中には美しい肢体を露にしているものもあり、大きな話題を集める。これが未公開映画が日本で公開されるひとつのパターン。別のパターンには、その作品の良さを十二分に分かっていながらも日本での集客が見込めず、タイミングを待ちながら公開されるというものがある。このタイミングも主演俳優の話題作の公開があるなどということでは最初のパターンと似ているが、どちらかといえば待望の公開というイメージが強く、秀作も多い。今回紹介する作品『忘れえぬ想い
もう涙はみせない』もそういった秀作のひとつである。
この作品『忘れえぬ想い もう涙はみせない』は2003年に香港で公開され、その内容の素晴らしさが口コミで広がり、観客の圧倒的な支持を受けたラブ・ストーリーである。香港での大ヒットにもかかわらず、日本での公開が数年遅れになったのは香港映画の興行的な不振が大きな要因だろう。最近でもその傾向が変わってきたとは思えないが、アジア映画への注目と共に香港映画の復調の兆しも見えてきている気がする。実際に作品自体の質は完全に低迷期を脱しているし、今後も小規模ながら話題作、良作が公開されていくようだ。こういった部分に加え、この作品を撮った監督の出世作であり、この作品とも類似点がみられる作品が日本でリメイクされるということも大きいのだろう。その作品が1993年に公開され大ヒットを記録したラブ・ストーリー『つきせぬ想い』である。監督は最近では『ワンナイトインモンコック』という秀作を送り届けてくれたイー・トンシン。こういった要素が絡んで公開されるこの作品だが(もちろん配給会社や映画館の熱意も)、人生の機微を描いた本当に美しく、素晴らしい物語に仕上がっている。
物語の主人公である結婚を間近に控えた女性はいつものようにバス停でミニバス運転手の婚約者の帰りを待っていた。新居も決まり、結婚式に向けての衣装も発注済み。あとは本当に幸せな日々がやってくるのを待ちわびるだけだったのだが、突然の不幸が彼女を襲う。ミニバスの事故で彼が亡くなってしまうのだ。彼が彼女に残したものは幸せだった日々、焦燥していく日々、そして彼の連れ子だけだった。彼女は家族の説得にもかかわらず、自分が連れ子を育て、家庭を維持していくことを決意する。彼女が選んだ道は事故に遭ったミニバスを修理し、その運転手として生きていくということだったが、それがうまくいくはずもなかった。
主人公の女性は前向きだけれども意固地な性格だ。婚約者の突然の死はその性格に拍車をかけ、家族とも断絶状態になっていく。満足な運転も出来ないのだから仕事もうまく行かないし、子育てにも支障が出ている。どんどんと追い詰められているのだが、どんどんと意固地になっていくだけなのだ。そんな彼女を見るに見かねて手を差し伸べるのが、婚約者の最期を看取った、仕事仲間だった男だ。彼は本来持つ優しさ、親切心から彼女を手助けする。ふたりは自然とどこかで惹かれ合っていくが、お互いの持つ過去に縛られ続けている。
主演は『ワンナイトインモンコック』のセシリア・チャン、『つきせぬ想い』ラウ・チンワンというイー・トンシン監督作品で大きな評価を受けた香港を代表する俳優ふたり。共演に香港で人気の日本人子役俳優の原島大地、ルイス・クーなど。
この『忘れえぬ想い もう涙はみせない』のテイストを一言で表せば、メロドラマだろう。メロドラマにも様々な種類があるが、それが行き着くのは泣き、涙である。この作品もオープニングの事故のシーンからそうした雰囲気に満ちている。でも、よくあるメロドラマのように、なだれ込むように涙へは向かわない。この作品の大きな魅力はここにある。そこには過去にこだわり続けるばかりに、今のチャンスを逃してしまう不器用な大人、日々を必死に生きようとし続ける庶民の姿があるのだ。香港のミニバスの運転手は縛りもきついし、法の網の目をかいくぐらなければならない、そんな決して恵まれた商売とはいえない様子がこの作品には描かれている。でも、彼らは日々の生活のために必死に、時には楽しく仕事をしていく。そうした中、主人公のふたりは不器用さを体現するような対照的な生き方をしていく。女は限りなく意固地だし、男は優しいけれど、肝心な所で1歩も踏み出せないのだ。そこを結びつけるのが子供だというのは分かりきっているだろうが、この主人公の大人の有り方が本当にじわりと胸に迫ってくるのだ。普通に撮っていたら出来すぎとも言われるだろうエンディングもそうした部分があるからこそ、自然に感じられる。
すごくいいシーンがいくつもあるのだが、個人的に最も好きなのが男が女にミニバスを運転しながら、そのテクニックを伝授するシーンだ。ここは何時までは駐車禁止、黄色は飛ばせ、タクシーには幅寄せしろなど、男は自分のミニバス運転手としてのテクニックを香港の市街を一周しながら、女に教え込んでいく。その教え方も絶品なら、香港の街のガイドとしての面白さもこのシーンには閉じ込められているし、何より、ふたりの対照的な性格、共通する不器用さが良く描かれている。
物語はすごくシンプルだが、そこにある静謐さ、優しさなどはシンプルに作られたものではない。そして、そこを汲み上げ、自分のものとして演技した役者陣、特に主役のセシリア・チャンとラウ・チンワンが本当に素晴らしい。感動流行りだが、そうした中でもただ単に感動を押し売るだけではない、深みを持ったメロドラマとなっているこの作品は真の意味での大人のメロドラマであり、香港映画の底深さを示す秀作だ。アジア映画好きはもちろん、大人のラブストーリーが好きなら、ぜひ、劇場に脚を運んでください。 |