「これがなければ生きていけないという甘食を求めて、小さな世界に生きていた引きこもり気味の女の子が成長していく様、彼女を取り巻く一風変わった家族たちを描いていく、笑い、心がほんわかと暖かくなっていく作品」
今は亡き、時代を作り上げた雑誌「平凡パンチの創生期の頃を回顧した本で読んだのだが、雑誌のネーミングに関しては現在のマガジンハウスを作り上げたといってもいい当時のトップ(にして名編集者)は譲ることがなかったという。当たり前のことだが、ネーミングはイメージから売り上げまで様々なことを左右していく。このことは映画も同様で、秀逸なタイトル、そそられるタイトルがついた作品はどうしても気になってしまう。一時期ほどではないが、ビデオ屋なんて、良くぞ考えたという二番煎じのタイトルが並んでいる(これも有効な商法だ)。今回紹介する『転がれ!たま子』もそのタイトルにまず興味を引き寄せられてしまう作品だ。
物語の主人公たま子は引きこもりの女の子である。彼女が引きこもりになったのは幼い頃に波の出るプールで溺れたことが原因だった。それ以来、この24歳になるまで彼女は引きこもりの日々を続けている。そんな彼女も出掛けないわけではない。幼い頃に家を飛び出した大好きな父親の工場に行くとき、そして大好きな甘食を買いいくときなどには彼女は鉄兜をかぶり、意を決して出掛けるのだ。その範囲は家から半径500メートル。向こう町へ行くために川を渡ったことなど本当に遠い昔のことだ。でも、そうした安定したたま子の日常を揺るがす重大事が起きる。大好きな甘食を売っていた店が休業となってしまうのだ。
引きこもりというと、どうしても重いイメージを持ってしまうのだが、この作品の主人公のたま子にも、物語自体にもそういった部分はない。引きこもりのはずなのに彼女はバイトらしきことまでしている。それもこれも大好きな甘食のためである。それまでは母親の経営する美容院のレジからもらっていた甘食代だったが、「いい歳なんだから、甘食代くらい自分で稼ぎなさい」という怒りのひとことで、彼女は知り合いの工場に通うだけというバイトらしきことを始めたのだ。知らない人に出くわすかもしれないし、犬に吠えられるかもしれないけれども、甘食がなければ、彼女は生きていけないくらいなのだから、仕方がない。背に腹はかえられないのだ。これで毎日の甘食代はなんとかなるという安心を手に入れたはずなのに肝心の甘食を売るパン屋が休業してしまうだ。で、彼女はどうするかといったら、それはもちろん半径500メートルの外へと意を決し、転がるように飛び出していくのだ。外へ飛び出した彼女は所構わずパン屋に飛び込み、甘食に食らいつくのだがどれも自分の求めるものとは違うことに愕然とする(これは事実らしく、オーソドックスな甘食と今の甘食では素材自体が違うのだという)。そこで彼女の取った手段はその甘食が作れるパン屋に弟子入りをするということだった。このパン屋に弟子入りするときの彼女の気持ち、そこに入ってからの成長がこの作品の大きな見所だろう。ほとんど台詞らしい台詞もないたま子は眼の表情で演技をしていくのだが、自らの手で作り上げた甘食が出来上がっていくオーブンの中を見つめる表情などからはその溢れるような気持ちがこちら側にも伝わってきて、暖かい気分になってしまう。たま子役はこの作品が初主演となる山田麻衣子が演じているのだが、大人の子供が大人になっていくという可愛い女の子の役をうまく演じている。
引きこもりのたま子とその弟をほぼひとりで育ててきた母親もすごい。最初は片親らしい強い母親を演じているのだが、これがどこでどうなったのか、とんでもないはじけかたをしてしまう。この母親を演じるのは岸本加世子なのだが、よくぞやりましたという見事なノリの演技を披露している。これは必見だ。そんな母親と同様に自分の生活に生きるために家を出た竹中直人演じる父親の身勝手さ(たま子は父親似と感じる)、何の因果かバスガイドを目指し始める桜井大輔演じる弟という家族は、たま子が真っ当な道を歩み始めるにつれて、より身勝手な方向へと振れていく。でも、これはたま子が自由を手にしたように、家族も自由を手にし始めたということでもあるのだ。
作品自体はたま子、家族、その周辺の一風変わった人々による人情喜劇であり、ひとりの子供のような女の子の成長の物語でもあるのだが、そのシチュエーションに大笑いしながらもぽかぽかと心が温まってくる愛すべき小品に仕上がっている。多少やりすぎかなという部分も個人的にはあるけれども、映画全体としては気になるほどではない。監督はこの作品が長編第2作目となる新藤風だが、長編デビュー作『LOVE/JUICE』でベルリン映画祭のフォーラム部門で新人賞に当たるウォルフガング・シュタウテ賞を受賞したことがダテではないことを感じさせてくれた。ちなみにタイトルの『転がれ!たま子』はたま子の一途な行動であり、(外から見ての)希望を表しているのだろう。
もうひとつ付け加えることは、とにかく甘食がおいしそうでしょうがないということ。おなかが一杯の状況でも匂いが漂ってきそうなその映像にはやられてしまうこと間違いなし(空腹では観ない方がいいかも)。私も観終わって甘食を食べ、その懐かしい味わいにやられました。そんな甘食のような懐かしい雰囲気と暖かさが閉じ込められた作品『転がれ!たま子』、ぜひ、劇場に脚を運んでください。 |