「“せかいはおわらない”、交わらない深い想いを抱えたひとりの女性、ふたりの男性のやるせない、まったりとした日々の中から繋がる、大切なものを描いた作品『せかいのおわり』」
多くの才能ある映画監督を発見しているぴあフィルムフェスティバル(PFF)。このPFFでは発見した才能を育て上げる土壌として“スカラシップ”制度である“PFFスカラシップ”も運営し、ここから毎年、優れた作品が生み出されている(最近では現在(04/8)公開中の作品『運命じゃない人』、『バーバー吉野』などが生まれている)。メジャーではないが面白いと思う邦画、今後の才能をチェックするなら、欠かせないもののひとつがこのPFFであり、“PFFスカラシップ”から生まれた作品なのである。そんな“PFFスカラシップ”の栄えある第1回を獲得したのが、今回紹介する作品『せかいのおわり』の風間志織監督である。
風間監督は1984年のPFFで入選した高校2年時の作品『0×0(ゼロカケルコトゼロ)』で“PFFスカラシップ”を獲得し、16ミリの短編作品『イみてーしょん、インテリあ。』を監督している。その後、8ミリ長編『メロデ』、『冬の河童』、『火星のカノン』という作品をゆったりとしたペースで発表。女性的な視点で繊細な心象を描いたこれらの作品は国内はもちろん、海外の映画祭でも高い評価を獲得すると共に、多くの熱狂的なファンを抱えている。今回紹介する『せかいのおわり』は前作『火星のカノン』以来3年ぶりの、初めてデジタルカメラで全編を撮影した作品である。
物語の主人公ははる子という女性、彼女と幼馴染の慎之介という男性、慎之介が働きながら、居候する盆栽屋の店主である三沢である。はる子は同棲していた彼氏に振られて、住処をなくし、仕方なく慎之介のところを訪ね、慎之介ははる子にずっと恋しているのだが、そのストレートな気持ちが伝えられずに日替わりの恋-ナンパ-に走り、ふたりよりちょっと年上の三沢は慎之介のそんな行動をどうしようもない気持ちで見守りながら、恋心を抱いている。3人は友情の絆で繋がり、その関係を楽しんでいるが、深い想いはうまく交わることがない、そんな日々をこの作品は描いていく。
この作品の発端となったのは前作の『火星のカノン』であった。今回の作品ではる子を演じる中村麻美、慎之介を演じる渋川清彦(その作品ではKEEという芸名を使用している)は『火星のカノン』で一緒に暮らすカップルとして重要なキャラクターを演じていた(最終的には中村麻美の役は渋川清彦に追い出されるのだが)。役名、設定こそ違うが、その『火星のカノン』で描かれていたふたりの関係を掘り下げてみようと思いつき、生まれたのがこの作品『せかいのおわり』だという。作品の構想自体は『火星のカノン』直後からあったのだが、製作資金が集らず、お金のないまま、インディペンデントな形で撮影はスタート、初めてのデジタルカメラでの撮影となった理由もこの資金のなさゆえであった(ちなみにこの作品はデジタル撮影したものを35ミリにおとしての上映となる。デジタル映像の嫌らしさを感じさせない自然な仕上がりとなっているが、その撮影自体には最初は相当な戸惑いがあったと風間監督は語っている)。
出演は中村麻美、渋川清彦の他、“阿佐ヶ谷スパイダース”主催で、映画、舞台、TVにと幅広く活躍する長塚圭史、小日向文世、田辺誠一、木ブー、つみきもほ、安藤希、風間監督の作品では常連のクノ真季子など。
男に振られたはる子は自分が目指していたはずの美容師の仕事もやめてしまう。シャンプーとリンスの仕事にはうんざりなのだ。やりがいのある仕事をしたいんだなんて語るけど、そのやりがいがよく分からない。慎之介も意に反するナンパを繰り返したりとそうした面がある。一般的にこういう状況に対して、どうしても批判的な目を向けがちだが、風間監督にはそうした部分はない。温かく見守るというか、それでもいいじゃないというスタンスだ。
タイトルは『せかいのおわり』、作品では彼らがラーメンを食べている向こう側のブラウン管からパレスチナの自爆テロの映像が流れていたりするけれども彼らの視線はそこにはまだ行かない。その一方で、自分のまったりとした何も出来ない境遇を嘆いてか、どこかでスコーンと抜けた青空から爆弾が落ちてくるのを願っているような節もある。姉が生んだ子供には「滅亡寸前の世の中に生まれた」などという形容詞すらつけてしまう。大切なものを自分のいい加減さゆえに破壊されたり、自分の期待を裏切った奴にありったけの方法で復讐しようとしたり、彼らは思った以上にうまくいかない人生とこの世の動きにに“せかいのおわり”を重ねている。でも、彼らのうまくいかない人生とは“せかいのはじまり”でもあるのだ。そこに小さいけど守るべき繋がるものがある限り、始まりへとなっていくのだ。
この作品は『せかいのおわり』というタイトルと共に『world's end girl
friend』という副題(英題)がつけられている。endとgirlの間には“ピースマーク”入りだ。映画の気分はこの副題にうまく表されていると思う。それはこの平和な気分がある限り、世界は続いていく、いってほしいという希望なのだ。その気分がこの作品には満ち溢れている。『火星のカノン』から膨らんだ男女の関係、次はこの作品エンディングの少し向こうを覗き見たい気がする。そこには関係がどうなっていようがもう少しこの世界にリンクしたふたりの姿があるはずなのだから。
オープニングのチャック・ベリーも最高だが(エンディングにはそのカバーも)、個人的にはフィリス・ディロンがカバーし、それを更に日本語でカバーしたチエコ・ビューティーの「エンド・オブ・ザ・ワールド」(ストレートですが)をどこかで使ってくれればなどとも考えてしまった。風間監督の中では最も受け入れやすく、素晴らしい内容を持っているので、今の状況にどん詰まりを抱えている方など、ぜひ、劇場に足を運んでください。どこかでいい気分を持てるかもしれません。
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